short
清掃員さんとマスターシェフ
「三点」
「五点かな」
「うーん、これは悩みますねぇ」
ヴィル、デュースに続いて、うんうんと頭を悩ませた結果、ヒトハは9の札を上げた。
ナイトレイブンカレッジにおける選択授業のひとつ、マスターシェフ。卒業後の生徒たちの私生活を支える〈調理〉の授業である。この授業の講師は一流シェフのゴーストたちで、授業中は賃金まで発生するという。食材調達からスタートしなければならず、選択授業としての人気はイマイチなものの、得るものは多い授業だ。
そしてそこで作った料理の成果発表──料理の審査をするメンバーに選ばれたヒトハは、就業時間内だというのに、出来立てのハンバーグを食べていた。学園長曰く、「人数は多ければ多いほどいい! どうせランダムですし」「ナガツキさんなら、突然審査員になってもスケジュールを合わせやすいでしょう?」とのことである。暇人扱いは心外だが、タダ飯ほど美味しいものはないと喜んで受けたのだ。
(この時点で私より上手い……!?)
料理を始めたばかりだというリドルとシルバーの手料理は、友人のセベクを苦しめる自分の手料理よりも、間違いなく上手かった。そればかりが理由というわけではないが、一皿綺麗に平らげ、感じたままの評価をしたら九点だったのだ。
「ちょっと、何をどうしたらそんな点数になるのよ」
これは授業なんだから甘やかしたらダメよ、とヴィルが指摘し、同意するように「ヒトハさん、優しいからな」とデュースが言い出す。ヒトハは彼らの言うことがいまいちピンとこなくて、空の皿に目を落として首を捻った。
「確かに、このハンバーグは味が濃かったような……? 少し焦げて苦味もありましたね。──でも! だからこそ! ビールに合う! 味の濃い食べ物は冷えたビールでガッ! といくと、美味しいんですよ? なので九点です」
「誰が酒飲み用の料理作れって言ったのよ。誰? この子を審査員に選んだのは?」
学園長だそうです、と返したのは調理をしたリドルである。今回はシルバーと一緒に肉料理を勉強中とのことだが、ヴィルとデュースから低い点数を出されて、少し落ち込んだ様子だ。真面目なふたりはヒトハひとりが高得点を出したところで当然満足できるはずもなかった。きっと全員から満点を貰えるまで頑張り続けるのだろう。
最後にヴィルが学生らしからぬ鋭い講評を繰り広げ、デュースが素直な感想を述べて最初のハンバーグの評価が終わると、ヴィルはヒトハのほうを向いて興味深そうに言った。
「アンタ、もしかして味覚音痴? クルーウェル先生に美味しいもの、食べさせてもらってるんじゃないの?」
「美味しいもの……食べ……?」
確かにふたりで仕事終わりに食事に行くことはある。麓の街で気になる店を見つけて誘ったり、誘われたり。しかし、それは決して“食べさせてもらっている”わけではない。美味しいものを食べるという、ささやかな楽しみを共有しているだけだ。
答えに詰まって悩むヒトハに、ヴィルは呆れて「もういいわ」とため息をついた。
「お待たせしました。完成した……のですが」
そしてシルバーが運んできた二品目。本日最後の料理はミートパイ、と聞いていたが、実際は表現しがたい焦げた臭いの黒い何かだった。格子状の輪郭だけが、ミートパイの面影を残している。外はこんがり、中もこんがり。明らかに焼きすぎていた。
ヴィルとデュースは息を呑んだ。
この授業では“食べない”という選択肢も存在する。健康を支えるために調理の勉強をしているのに、その健康を損なっては元も子もない。第一、評価する生徒や教員は食べることくらいしかメリットがないから、そこで努力する義理もないのだ。
一向にフォークを手に取ろうとしないふたりを置いて、ヒトハはパイ生地の焦げた部分をそっと剥がした。炭というわけでもないので中は食べられるが、見ただけではっきりと不味いと分かる。
「さすがに視覚から攻められるとキツいですね」
「すまない、苦しめようとしているわけではないんだが……」
シルバーのしゅんとした顔を見ていると、どうにも食べないという選択肢がないような気がして、ヒトハは焦げた部分を器用に剥がし、口に入れた。水分が飛んだパサパサの肉、やっぱりちょっと焦げた苦い生地に、パイ生地では中和できない調味料の濃さ。ひと言で表現するなら“刺激的な味”である。だが、ヒトハにとってこの料理は食べられないほどのものではなかった。
「さすがにこれは……いただけないわ。悪いわね」
「ううっ、すみません、これは」
ヴィルはフォークを持つことを諦め、デュースは果敢に挑みながらもすべては食べきれずにリタイアした。そして隣で普通に食べ進めるヒトハを見て、ふたりは「一体どうなっているのか」と口を揃えたのだった。
「美味しい! ってほどではないんですけど、食べられないことはないですよ。普通です」
「このレベルで普通なの? 底知れないわね……」
ヴィルが呆たように呟く。好き嫌いはさておき、この料理は香りと見た目で十人中十人が「食べたくない」と感じるであろう一品だ。それを特別美味しそうな顔をしないまでも普通に食べ切ろうとするヒトハの姿は異様だった。
すると、ずっと黙り込んでいたデュースが「はっ! 分かった!」と大声を上げる。最後の一口を食べていたヒトハは、驚いて咽込んだ。
「ヒトハさんはあのドブ水みたいな魔法薬の飲み過ぎで不味い物に慣れ過ぎているんです! 他人より“不味い”の範囲が狭くて、それ以外は“普通”か“美味しい”にしかならない!」
「一理あるわね」
「なるほど。ドブ水という表現はどうかと思いますが」
デュースの言うドブ水とは、ヒトハがうっかり薬品で溶かしてしまった手を治療するために、クルーウェルが毎週調合してくれている魔法薬のことである。かつて「沼の水でハーブと生ごみを混ぜ合わせた後、十日くらい熟成させたような味」とまで思った魔法薬だ。それに比べれば、シルバーとリドルの失敗作なんて大したものではない。
ヒトハはデュースの的を射た指摘に、ヴィルとふたりで納得していた。思い返せば、最近美味しいと感じることはあっても不味いと感じる機会は極端に減った気がする。それこそ不味いと明確に感じるのは、魔法薬を飲んでいるときくらいのものである。
──でも、本当にそれだけだろうか?
ヒトハは食べ終わったミートパイの皿を見下ろした。ハンバーグを食べていたときもそうだ。手放しで美味しいとは言えない料理だが、特別な物を食べている気分だった。それは顔の見えない料理人が作った料理では、きっと味わえないものだろう。
「私の味覚がどうかしてるのもあると思うんですけど、やっぱり生徒たちが作った料理って、普段より美味しく感じるものだと思うんです。結構いい点数くれる先生もいるって言いますし、一生懸命作ったものは、味だけじゃない何かがあるんですよ、きっと」
食材や調理法は大事だ。でも誰が誰のために作ったのかも大事な要素の一つなのかもしれない。同じ味でもより親しい人から振舞ってもらったほうが、ずっとずっと美味しく感じるはずだ。
「いい感じに締めようとしているけれど、アンタ、その狂ってしまった味覚は矯正したほうがいいわよ」
やはり鋭い指摘をするヴィルに、隣で真剣な顔をしていたデュースは、同意するように頷いたのだった。
ある日の放課後、ヒトハはいつも通りクルーウェルから魔法薬を受け取った。
相変わらずドブ水のような見た目ではあるが、最近は試行錯誤しているおかげで味はコロコロと変わる。気持ちの悪い酸味を舌に残しながら空の瓶を洗い、ヒトハは教壇の近くで本を開いているクルーウェルに声を掛けた。
「先生、この後飲みに行きませんか? 港に海鮮系のお店があって──」
「行かない」
クルーウェルはヒトハの言葉をすべて聞くまでもなく言い切った。いつもであればすんなり了承するか、ちょっと渋る様子を見せるものだが。今日に限っては、事前に決めていたかのようにきっぱりとしている。
彼は本を閉じると、ジトリとした目でヒトハを見た。
「お前、最近俺が仕立てた服に袖を通したか?」
「通してないですけど」
何の脈略もなく出てきた質問に、首を傾げながら答える。彼の仕立てた服といえば、あの緑のドレスだ。特別な場所に行くわけでもないヒトハには、着る機会は滅多に訪れない。
クルーウェルは教壇に凭れかかると、大袈裟なまでの深く長いため息をついた。
「一度死にかけて痩せてしまったお前が元に戻るならと目を瞑っていたが……マスターシェフの審査員になったばかりに、すでに許容範囲を超えている! これでは俺の仕立てた服が台無しだ!」
ビシッと指揮棒の先を突きつけられ、ヒトハは思わず両腕を抱いた。
「何で見ただけで分かるんですか!?」
彼は一瞬見ただけで、服の上からでも体型の変化に気がつく。ファッションという趣味が行き過ぎたのか性格のせいなのかは分からないが、とんでもなく敏感だ。
確かに、以前カリムに盛られた毒を代わりに飲んでしまったときには体重が激減したものだが、それももうずいぶん前のことである。緩やかに変化していく体重の、一体どの段階が適正だったのか──もはやヒトハにも分かりはしない。
クルーウェルは指揮棒の先を自分の手のひらに叩きつけた。広い魔法薬学室に鋭い鞭のような音が鳴り響く。
「貴様のおかげであのシェーンハイトにも俺の躾が疑われてしまったんだぞ。そんな自己管理もままならない駄犬に必要なのは料理のメニューではない!」
そして彼は教壇にあった一枚の紙をヒトハに突き付けた。細かく綺麗な字でびっしりと書き込まれているが、それはクルーウェルの字ではなかった。
「喜べ、ここにシェーンハイト特製のトレーニングメニューがある。最速で、理想の体型に戻してみせろ」
「え、嫌」
「いいな?」
「…………はい」
かくして、ヒトハのマスターシェフの審査員生活は終わりを迎えた。生徒たちの美味しい料理の代償は、強烈なトレーニングとヘルシーな料理である。
「ヒトハさん、最近見ないですね」
マスターシェフの授業中、シルバーが審査員の学園長に言うと、彼は一瞬の間を空けて「ああ」と声を上げた。
「彼女なら辞退しましたよ。『野菜メインのときに呼んでください』とのことで」
「ああ……なるほど」
そういえば最近ちょっと丸くなったとセベクが言っていたな、と思い出しながら美味しく焼けたハンバーグをテーブルに置く。ボロボロの点数の頃から「美味しい」と笑っていた彼女にも食べて欲しかった。
なんせこのハンバーグは星三つ、文句なしの満点を叩き出した、初めての料理なので。
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