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幸せな誕生日の話
「これ、ヒトハサンから」
そう言ってエペルから差し出されたのは、緑色の鮮やかなリボンが掛けられた、一冊の本だった。挟まっている小さなカードには『お誕生日おめでとう』と丸みの帯びた字で祝いの言葉が綴られている。
今日は年に一度の自分が生まれた日、誕生日だ。ナイトレイブンカレッジに入る前は家族から祝われる日だったが、今年からは寮生や同級生、尊敬するマレウスまでもが自分の誕生日を祝ってくれる。
自分は学園一の果報者──そう思っていたのに。
セベクは友人を自称して止まない彼女からのプレゼントを受け取りながら、何かが胸に引っかかるような、もやもやとした気持ちでいた。
「セベククン、どうかした?」
「いや……」
こんな素晴らしい日に、たったこれだけのことで心を乱すなんてありえない。まして、今日はあの若様からも労いの言葉を貰ったのだ。これ以上に幸せなことはなく、こんな些末なことは捨ておくべきだ。
セベクは雑念を振り払うように首を横に振り、「なんでもない」と誤魔化した。
「くっ……この僕が、人間に後れを取るとは……!」
祝いの席に相応しい料理とケーキを振舞われ、いつしか始まったパーティーゲームで、セベクは屈辱的なことに連敗を続けていた。
オンボロ寮の監督生が思いのほか強く、どう挑んでも勝てないのだ。監督生について来たらしいエースがなかなかに小賢しい手で勝ちを掠め取っていくこともあって、挑めば挑むほど下手を打っているような気がしてならない。
みっともないと思いながらも、負けるたびに勝ち誇った顔をするエースとグリムを目にしては、苛立ちと焦りでよく頭が回らない。
それに先ほどから会場の入口が気になってしまって、妙に気が散ってしまう。こればかりは、いくらエースとグリムが大人しくしていても、どうすることもできなかった。
「若様、少し頭を冷やしてまいります!」
ついに五連敗を叩き出してしまったとき、セベクはマレウスに宣言した。いくら自分の誕生日とはいえ、自分勝手に主から離れるなど護衛失格である。
ゆったりと椅子に腰を掛けて軽食を摘まんでいたマレウスは、少し驚いた顔をしながらも小さく口元に笑みを浮かべた。
「わざわざ僕に許しを得なくとも、今日はお前の誕生日なのだから、好きに振舞うといい」
「ありがとうございます!」
なんと寛大なお方だろう! 胸を震わせながら、セベクは足早にパーティー会場から抜け出した。主役不在のパーティーは盛り上がりを続けていて、しばらく放っておいても、誰も気がつくことはなさそうだった。
マレウスの隣でくつろいでいたリリアはセベクが消えた後に、ひょっこり起き上がった。出口を見やり、やれやれと首を振る。
「素直なのかそうじゃないのか、よく分からんのう。ま、そこがセベクの可愛いところなんじゃが。のう、マレウス?」
***
セベクは寮を出て、鏡舎の近くを突き進んでいた。今日ずっと胸に張り付いて離れないモヤモヤとした気持ちは、そうでもしないと晴れないのだと気がついたのだ。
どうしても、なんとしてでも、一言言ってやりたい。そうしなければ今日という幸せで素晴らしい一日が、台無しになってしまう。それだけはどうしても嫌だった。
「おい! ヒトハ!」
「ひゃあ!」
校舎近くのゴミ捨て場で、目的の彼女──ヒトハは聞き慣れているはずの声に、今日も跳びあがって驚いた。
両手を心臓に当てて「声が大きいんですよ!」と焦って言いながら、ふと気がつく。
「あら? その衣装、かっこいいですね」
そういえば、今は誕生日パーティーの時間でしたよね? と、バースデー用の衣装を眺めながら呑気に言う彼女に、セベクは無言のまま大股でずんずんと近づく。
理由もわからず戸惑うヒトハに、セベクは言った。
「どうして直接プレゼントを渡しに来ない!?」
「へ!?」
ヒトハは目を点にして固まっていたが、段々と状況を理解し始めたのか、目に見えて焦り始めた。小さな肩を窄め、気まずそうに視線を彷徨わせる。
「だ、だって、今日は会う機会なかったし、それにパーティーは生徒たちで楽しむものだから、私が顔出すのも悪いし……」
「僕の友人だと言うのなら、一番に祝いに来るべきだろう! 一言もなく、エペルにプレゼントを託すなんて、祝う気がまったく感じられない!」
「ええ!? えっと、ごめんなさい……」
セベクはヒトハがしょんぼりと肩を落とす姿を見て、そこでやっと、もやもやとしていたものが何だったのかを理解した。
「僕は」
掠れるほどの小さな声。これではダメだと喉に力を込めた。
「僕は! お前が一番に来てくれるのではないかと、思っていたんだ! いつもいつも纏わりついてくるくせに、今日に限って来ないなんてあんまりだろう!」
そうだ、悲しかったのだ。あんなに普段うるさく話しかけてくるくせに。それも他の生徒よりずっと多く、時にはあの教師をも差し置いて。それなのに一番大事で、一番会いたいときに来てくれない。
子どものように扱われるのは癪だが、今日ばかりはこの振る舞いも許されるような気がした。
ヒトハは大きく目を見開き、セベクを見上げた。困惑を浮かべていた瞳が、次第に明るさを取り戻していく。
「ふふ」
「……おい、なんで笑う」
彼女は人の気も知らないで、口元に手を当てながら、嬉しそうに笑い始めた。
恨めしそうな眼を向けても、それがまた面白いのか、笑みを深めていく。
「い、いえ、セベクくんは怒るかもしれないけど、なんだか嬉しくて」
そして両手でセベクの手を拾い上げると、やんわりと力を込めた。
「そんなに私のことを想ってくれてたなんて、嬉しいですね。今日は嫌な気持ちにさせちゃって、ごめんなさい。本当は朝一番に言いたかったんだけど、仕事でそれも難しくて」
「……言い訳をするな」
「そうですね。ごめんなさい」
ヒトハはセベクを下から覗き込むように見上げ、柔らかく目を細めた。いつもの溌剌としたような笑顔ではない、今日は溶けてしまいそうなくらい、優しい笑顔だ。
「お誕生日おめでとう、セベクくん。生まれてきてくれてありがとう。私と出会ってくれて、ありがとう」
それは今日聞いた言葉の中で、最もシンプルな言葉だった。けれどふたりにとっては、何より深い意味がある。
最後に「素敵な一年になりますように!」と言って手を離そうとするのを、セベクは強く握り返した。
「今日はもう仕事は終わりだな!? 行くぞ!」
「えっ? どこに?」
「パーティー会場に決まっている。ゲームでやられっぱなしだからな! お前も参戦しろ! 必ずや若様に勝利を捧げるぞ!」
そうと決まれば向かうのはパーティー会場だ。
まだあの監督生にも、エースにも勝てていない。パーティーはまだまだ続く。今なら連敗記録も止められるはずである。
ヒトハは腕を引っ張られながら、ぽっかりと大きく口を開いた。
「もー! 誕生日も若様ですか!?」
「マレウス様と呼べ!」
「はいはい!」
いくら今日が特別な日でも、特別な人の名を正しく呼ばないのは許されない。けれどその不真面目な返事だけは、今日ばかりは許してやろう。
セベクはヒトハを引っ張りながら笑った。
何といっても今日は誕生日。一年で一度だけの、とびきり幸せな一日だから。
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