清掃員さんとハロウィーン(2/5)

ハロウィーンのルール

「トリック・オア・トリート!」

 お菓子をくれなければ悪戯するぞ、というハロウィーンお決まりの台詞を元気よく口にして、ヒトハは片手を前に突き出した。

「……お前は渡す側だろう」
「それは、そうなんですけど」

 クルーウェルは差し出された手を見下ろし、呆れた顔をした。どうやら自分はお菓子か悪戯か、どちらかを選ばなければならないらしい。

***

 ナイトレイブンカレッジのハロウィーンウィーク。一週間にわたって学園を開き、麓の街や外部の人たちをもてなす特別なイベントだ。生徒たちは寮ごとに決められたエリアを盛大に飾り付けてゲストを楽しませる。一方、職員や教師などの大人は裏方に回り、いつも以上に学園内を歩き回って仕事に励む。こうして各々が各々の役割を持つ中、全員に共通した役割がひとつだけあった。

「トリック・オア・トリート!」
「はい、どうぞ」

 ヒトハは膝を折り、目の前に差し出された小さな手に袋をひとつ載せた。可愛らしいハロウィーンの絵が描かれた半透明の袋から、色とりどりのお菓子が覗く。お菓子をもらった男の子は頬を淡く染めて「ありがとう!」と言い残すと、遠くで見守っていた両親の元へと駆け寄った。ヒトハは彼らを、手を振りながら見送った。
 ハロウィーンといえばこの台詞、「トリック・オア・トリート!」である。ゲストをもてなす学園側の生徒も職員も、求められたらお菓子を渡さなければならない。さもなくば、悪戯が待っているからだ。
 そういうわけで、ヒトハはハロウィーンウィーク中はどこへ行くにしてもお菓子を携えていた。学園側からの支給品で、小さな袋にキャンディやチョコレート、マシュマロが詰め込まれている。これを子どもたちに渡すのは楽しく、そして新鮮だった。
 なぜならヒトハの故郷では、ハロウィーンはあまりメジャーなイベントではなかったからだ。

「私のいた地域ではハロウィーンの文化はあまり根付いてなくて。お菓子を貰って回るのも、小さい頃に一度あったくらいです」

 お菓子の袋を補給しに来た校舎の一室で、ヒトハは休憩がてら、同じく休憩中のトレイ、ケイトと話し込んでいた。
 話題はハロウィーンについて。幼い頃の思い出をぽつぽつと共有する程度の、ささやかな雑談だ。
 ヒトハは手にした可愛いお菓子の袋を眺めながら、しみじみと言った。

「だから結構新鮮ですね。こうして渡す側になってから満喫することになったのは、ちょっと残念ですけど」

 ハロウィーンというイベントを盛大に催しているのを見るのは、テレビの中だけのことだった。ヒトハの住んでいた極東の小さな島国では関心を持つ人があまりおらず、お菓子を貰うどころか渡す機会すら少ない。こうしてナイトレイブンカレッジへ来なければ、あれだけたくさんの人たちにお菓子を配ることもなかっただろう。

「せっかくならうちの寮生にでも声をかけてみたらいいんじゃないですか? 喜んでお菓子をくれると思いますよ」

 そんなヒトハにトレイは優しく言った。せっかく人生で初めて全力で楽しむハロウィーンに、渡すばかりでは、やはり味気ない。貰う側に立ってみてもいいのではないかと。
 確かに、生徒たちに声を掛けたなら、面白がってお菓子をくれるだろう。それがこのハロウィーンのルールで、醍醐味だ。

「そうですねぇ。でも、生徒たちに渡すのはいいけど、貰うのはやっぱり気が引けますね」

 ヒトハはトレイの提案に、苦笑しながら答えた。

 ただでさえゲストへの対応に忙しい彼らに、わざわざ「お菓子をくれ」と言いに行く勇気はない。自分は大人で、どちらかというと彼らに与えなければならない立場だ。
 すると今までスマホ片手に聞き手に回っていたケイトが突然口を開いた。

「それならちょうどいい人がいるじゃん」
「え?」

 にっこりとした彼の笑顔に、ほんの少し悪戯な表情が見えたのは、きっと気のせいではない。

「で、俺のところに来たわけか」
「はい! そういうわけなので、『トリック・オア・トリート』ですよ、先生!」

 ケイトの言う“ちょうどいい人”は、お菓子を出すわけでもなくヒトハの前で腕を組んだ。

「残念だが、今しがた小さなレディに渡したのが最後だ」

 ヒトハはクルーウェルのやたら気取った物言いに目をぱちぱちとさせた。

「ふぅん、なるほど。そうやって、いたいけな少女たちの初恋を奪っていくわけですね。なんて恐ろしい男……」
「そうだな。のちに現れる男どもが不憫でならない」
「はいはい」

 ヒトハはジョークとも自惚れとも取れる言葉に、冷めた声で返した。
 このハロウィーンウィークで発覚したことだが、外部の人間と接するとき、彼の普段の“飼い主的”な荒々しい振舞いは嘘だったかのように鳴りを潜める。妙なまでの礼儀正しさと紳士的な振舞いで、完璧な男を演じてみせるのだ。
 ヒトハがそれを初めて目にしたとき、彼の仔犬たちが「学園長が来ると立ち方が変わる」と言っていたことを思い出した。彼は持ち前の要領の良さで見せるべき姿を見せるべき人に見せて、それを悟られることがない。
 きっといたいけな少女たちは、見目麗しい紳士的な大人の男にときめいてしまう。自分は彼女たちのような扱いを受けたことはないから、一生分からないことだろうが。
 ヒトハは差し出した手を引っ込めて口を尖らせた。

「ということは、選択肢としてはもう悪戯しかないのですが?」

 すると彼は小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「お前が? この俺に?」

 そして彼は腰に手を当て、悪戯を受け入れるどころか、煽ってきたのだった。

「やれるものならやってみろ」

 さすがにここまで言われてはカチンとくるというものだ。ヒトハは先ほどクルーウェルがそうしていたように、胸の前で腕を組んだ。
 こうなっては全力で悪戯をする他ない。あっと言うような酷い悪戯で、危険ではなくて、ついでに言うなら、彼がへそを曲げて今後一か月引きずらない程度の……。
 段々弱気になってきた自分を奮い立てるように、ヒトハは思い切って人差し指を地面に向けた。

「先生、『お座り』」
「お前は誰に物を言っているんだ?」
「なっ……何でそんなに強気なんですか……?」

 しかしここで引き下がるわけにはいかない。そう、彼はお菓子を持っていなかったのだ。

「私は大義名分を得たんです! 拒否権はありませんよ! ほら早く!」

 ぐいぐいと両肩を抑えてしゃがませることに成功すると、ヒトハは遠慮なしにクルーウェルの頭に手を載せ、「えい!」と大きく撫で回した。

「あっ、おい!」

 彼のカッチリとスタイリングされた黒と白の髪は左右に入り乱れ、後ろに流した前髪は落ち、無造作な髪型へと変貌していく。
 クルーウェルは予想外の悪戯に怯んでいたかと思うと、慌ててヒトハの手を跳ねのけた。そして立ち上がり、ふらつきながら後退する。

「──ナガツキ、貴様!」

 彼は乱れた前髪をかき上げ、青筋を浮かべながら吠えた。今朝整えて来たであろう完璧なセットは崩れ、今や寝起きの姿にまで戻っている。
 ハロウィーンウィークに入ってから久しく見ていない荒々しい姿に、ヒトハは思わず噴き出した。

「先生、ゲストの前で『貴様』とか言っちゃダメなんですよ?」

 そう、今日はナイトレイブンカレッジの大切な行事、ハロウィーンウィークの真っただ中だ。この学園の教師である彼は、ゲストたちに“理想的な先生”の姿を見せなければならない。
 ぐぬ……と悔しそうに唇を歪める姿が面白く、ヒトハは勝ち誇った顔で言い捨てた。

「やっぱり先生はお髪が乱れていても素敵ですね! 私も恋しちゃいそう♡ では!」

 そしてくるりと踵を返し、猛ダッシュ。背中に何やら呼び止める声が聞こえてくるが、何一つ咎められるようなことはしていないのだから、足を止める必要などない。
 彼はお菓子を持っていなかった。それならば、どれだけ腹立たしくとも悪戯を受け入れなければならない。なぜなら、それがこのハロウィーンのルールで、醍醐味だからだ。

 校内を駆け抜け、ヒトハは植物園の入り口近くまでたどり着いた。休憩を終えたトレイとケイトを見つけ、手を振りながら駆け寄る。
 彼らは額に汗を滲ませながら満面の笑みで駆け寄って来るヒトハに驚いて、「どうしたんですか?」と問い掛けた。「クルーウェルにお菓子を貰ってくる」と言って別れたヒトハの手にお菓子はなく、ただ満足げな顔があるだけだ。
 まさか、と事態を察したふたりを前に、ヒトハは笑顔にほんの少し悪戯な表情を滲ませた。

「ふふ、ハロウィーンってやっぱり楽しいですね!」

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