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清掃員さんと決闘
その日はとても風が強かった。
ヒトハは顔に張り付く髪を何度も指で払いのけ、校舎の中庭をとぼとぼと歩いていた。生徒たちは丁度昼休みの最中だったが、こんな天候もあって中庭にはほんの数人しかいない。
できれば自分も室内の掃除がよかったが、今日は運が悪くゴミ捨ての係である。先輩や同僚が「くじで決めよう」などと言い出して、嫌な予感がしながらくじを引いたら案の定“あたり”だったのだ。もはや良いのか悪いのかよく分からない。
ふと髪が口元に張り付いて足を止めたその時、ヒトハはどこからか「手袋を拾いたまえ!」という声を聞いた。何か落としたのだろうか、と視線を巡らすと足元に手袋が引っかかっている。
ヒトハは親切にその手袋を拾い上げ、持ち主を探したのだった。
「はい、落としましたよ」
手袋を落とした彼は思いのほか近くにいた。ポムフィオーレの寮生らしく、ウェーブがかった藍色の髪をしていて、どこか気品を感じる生徒である。
なぜだか信じられないものを見るような目をしていて、よくよく辺りを見ると、向かいに立つもう一人も同じような顔をしていた。
「え? な、なに……?」
ヒトハはこの異様な空気に狼狽えて手袋を持ったまま数歩後退った。
「──審議! 審議だ!」
手袋の彼はそう高らかに言って、向かい合った相手に寄って“審議”をしている。ヒトハはもうゴミを捨てに行きたかったが、手袋を受け取ってもらえずに足踏みするしかない。
彼らは一瞬揉め、すぐに和解したのち、そわそわとしているヒトハにこう言った。
「この伝統ある作法に則って、貴女とは決闘をしなければならない」
「決闘」
「安心してくれたまえ。女子供は代理人を立てることが認められている」
「代理人」
あまりにもわけが分からなかったのでオウムの様に言葉を返してみたが、やっぱりわけが分からない。
どうやら手袋の彼と決闘なるものをしなければならならず、その決闘に代理人を立てても良いとのことである。
「特に何をした覚えもないんですが──決闘?」
「そう。僕が手袋を投げ、貴女が拾った。すなわち決闘を受けるということだ。元々は彼に投げるつもりだったがね」
「はぁ」
彼、と呼ばれた生徒は頷くばかりで、決闘も何も明らかにもう和解している。
「貴女も魔法士とお見受けする! そうであるならば、受けない理由はないはずだ!」
「受けない理由しかないんですけど……?」
決闘なんて古臭いことをやる意味がヒトハには全然分からなかったが、ただ一つ言えることは、彼らにとってこの決闘はとても重要なことらしいということだ。技量も分からない相手に杖を向けることが一体どういうことなのか、分からないわけではないだろうに。
彼があまりにも真剣だったので、ヒトハはだんだん決闘を受けないといけないような気がして、結局その勇気を買うことにした。ただし、今日はゴミ捨て当番がある。
チラリと近くの時計を仰ぎ見て、ヒトハは一つ提案をした。
「まぁ、いいでしょう。でも今日はゴミ捨てがあるので、明日のこの時間、この場所で良いでしょうか?」
「ああ、構わないよ。代理人を立てる時間も必要だろうからね」
彼はヒトハが代理人を立てるに違いないと思っているようだった。代理人──ヒトハの頭に浮かぶ代理人候補たちは皆、面倒そうな顔をしている姿しか想像ができなかったが。
「ではまた明日、この場所で」
このポムフィオーレの生徒と清掃員の決闘という奇妙なイベントは、生徒の格好の餌食となって、その日中に噂が蔓延することとなった。ヒトハ自身はもうすっかり忘れて仕事に勤しんでいたが、勉強に励む退屈な生徒たちにとってはこの上なく面白いイベントである。
ポムフィオーレの生徒はともかく、片方は魔法士としては不十分な魔力しか持たないと噂の清掃員だ。当然代理人が立つと思われ、その人選がもっぱらの話題だった。
彼女の飼い主ことクルーウェルか、やたら懐いているセベクか、セベクが出るくらいなら主たるマレウスも可能性はゼロではない。たまにサバナクロー寮のレオナに煩く声を掛けているので、彼もあり得る。なんせ彼の国は女性に優しいので、さすがに重い腰もあがるだろう。
噂によればオクタヴィネル寮にもなにやら人脈があるという話だったが、これは大枚を叩かないと無理だろうと思われた。大穴でハーツラビュル寮の話題の一年生もあがったが、トランプで負かされるなどの因縁があるとのことで、選ばれないという予想である。
「面白いことになってるッスね~」
「ええ?」
次の日の午前中、せっせと窓を拭いていたヒトハの隣にいつの間にかラギーがやって来て、面白そうにそう言った。
「決闘、するんスよね? 代理人が誰になるかもっぱらの噂ッスよ」
ヒトハは生徒たちがどこかそわそわとして、やたら話しかけてくる理由に気がついて深々とため息を吐いた。
「真剣勝負をそう面白がるものではないですよ」
「ええ~でも~」
「でも、も何もありません!」
「もう購買のプリン賭けちゃったんスよね。ヒトハさんに」
ラギーは悪びれもせずにそう言って、にやりと笑った。
ヒトハはいつの間にか自分が賭けの対象にされていたことに怒ったらいいのか呆れたらいいのか分からず、苦々しく口元を歪めた。
「期待しない方がいいと思いますけどね」
決闘の時間と場所はどこから漏れたのか、ヒトハが到着した頃には外野で溢れていた。
まさか見世物にされるとは思わず、これから決闘をすることよりもそっちの方が気になって仕方がない。昼休みであることは確かだが、よくもまあこんなに集まったものだと呆れてしまう。
「ま、まさか……代理人がいない……だと!?」
ヒトハより随分前から待っていたであろう手袋の彼は、ヒトハがいつもの清掃員服に杖を持って現れたことに驚愕した。
当然、誰かを連れてきた様子もない。
「せっかくです。私がお相手になりましょう」
手袋の彼は女性に対して杖を向けることが信条に反するのか、しばらく悩んでいたが「しかし、貴女の勇気を無駄には出来ない」と再び杖を握るに至った。相手の勇気を讃えながら果敢に挑もうとする様は、とてもポムフィオーレ寮生らしい。
二人の決闘は、あの日和解した彼を証人として執り行われた。
開始早々に煩いくらいに飛んでくる野次の中、ヒトハは手袋の彼の攻撃をひたすらに躱した。彼の魔法はクルーウェルの魔法に比べたら幾分か威力も速さも劣る。逃げ回るのは得意なので、見切れば避け、受けられるものは防御した。
しかしここはナイトレイブンカレッジで、そもそも資質のある魔法士が集う場所である。当然ヒトハの魔法では長時間耐えることはできない。
お互いが丁度疲弊した頃合いに、ヒトハは最後の一撃を防いで頭上の時計を指差した。
「手袋くん!」
中庭に大声が響く。息が上がって不格好だったが、相手の手を止めるには十分だった。
「あなたは次の授業が飛行術なのでは? あまりゆっくりしていては間に合わないでしょう」
時計の針は昼休み終了の直前まで迫っていた。終了後は授業までの移動時間があり、午後の授業が始まる。
「降参して次の授業に向かわないと、成績にかかわります。いいんですか? ポムフィオーレ寮生たるもの、成績表も美しくなければ!」
「なんと卑劣な……!」
その言葉は手袋の彼の心を激しく揺さぶった。
ポムフィオーレ寮は〈奮励の精神〉を掲げる。決闘にかまけて学生の本分である学業をサボっていいはずがないのだ。
「そして私、あと一時間はここにいられるんですよね」
ヒトハは腕を組み、にやりと笑った。
「──なぜならば! 私は今日! この中庭の掃除当番だから!」
外野が一気にざわつき「ひどい」「なんて卑怯な」「大人げない」と口々に言う。言いながら時計を気にするので、生徒はもう授業に戻らなければならないことを悟っていた。
もはや勝ったも同然だ。ヒトハは罵詈雑言を浴びせられながらも涼しい顔をしていた。決してルール違反ではない。互いの条件を考えて、それに見合った作戦を立てた結果だ。これを避けるためには、手袋の彼は制限時間内に勝たなければならなかった。ただそれだけのことだ。
彼が悔しそうに「降参」を口にしようとしたその時、広い中庭の隅々までいきわたるほどの怒号が飛んだ。
「ナガツキ、貴様!!!!!」
「ひぇ」
あれだけ集まっていた生徒が驚くべきスピードで消えていくので、その怒号の迫力たるや相当なものである。
「散れ、仔犬ども!!」
ヒトハはいっそ逃げてしまおうと踵を返し、結局捕まった。
「またお前は余計なことに首を突っ込んだうえに、賭博にまで関与するとは! 余程俺に躾けられたいようだな!?」
「と、賭博!? いえ、そもそも私、全然悪くなくてですね!?」
「言い訳は放課後に聞いてやる。逃げたら──わかっているだろうな」
「は、はい……」
***
翌日、ラギーはゴミを集めているヒトハを見かけて声を掛けた。
彼女はかなり長く説教に捕まったのか、しょぼしょぼと眠たそうに目を瞬いている。聞けば不運な出来事だったらしいのだが、手袋を投げられた後の対応が悪く、それが説教の対象となったらしい。
そんなお疲れの彼女に対してさすがに悪いかと思ったが、ラギーは昨日の決闘に代理人を立てなかった理由がどうしても気になって、聞いてみることにした。
「だって彼、とっても真剣だったし。真剣勝負に代理人だなんて失礼じゃないですか。だから私なりに真剣に策を練って挑んだんですけどねぇ」
ヒトハは「やっぱちょっと酷かったかな……」と呟きながら苦笑いをしている。
そして最後に一つ思い出したように、こう言った。
「でももう手袋は拾わないので、もし落としたら自分で拾ってくださいね」
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