魔法学校の清掃員さん

23 清掃員さんと大事な話

「どうした。元気がないな」
「バルガス先生……」

 放課後、運動場の片隅でぼうっとマジフト部の練習を眺めていたヒトハは、突然かけられた声に振り返った。部員の指導をしていたバルガスが逞しい眉を下げて気遣わしげな顔をしている。
 魔法薬を吐いてしまったあの日から、“これからのこと”が頭をぐるぐると巡って離れないのだ。ついにそれが態度に出てしまっていたのだろう。

「その……クルーウェル先生に言わなきゃいけないことがあって。でも、勇気が出ないんです」

 ヒトハが声を落として答えると、バルガスは一瞬ハッとしてヒトハの肩を力強く抱いた。

「そうか、お前もついに……! 俺は嬉しいぞ!」
「いえ、何も嬉しいことではないんですけど」
「ああ、言いにくいのは分かる。気持ちを伝えるには大きな勇気がいるものだ。この俺でさえも……」
「は、はぁ……」

 頭の上にハテナを飛ばし続けるヒトハを放って、バルガスは目尻に浮かんだ涙を拭った。

「だが安心しろ。筋肉の足りないお前でもきっと上手くいく、いい方法があるぞ。俺に任せておけ!」

 そう言ってバルガスはドンと厚い胸を叩いた。
 マジフトで意気投合してからというもの、バルガスとはマジフトを観戦しに国外まで出かけた仲だ。少々筋肉に煩いところはあるが、ヒトハは彼のことを友人として信用している。何か胸に引っかかるものがあるが、きっと悪いようにはならないだろう。
 ヒトハは「任せておけ」と豪語するバルガスに一抹の不安を覚えながらも、彼の自信に賭けて頷くことにした。

***

「これからバルガス先生と飲みに行くんですが、先生も行きませんか!?」

 バン、と勢いよく開かれた扉に思わず肩が跳ねる。クルーウェルは手に持ったジョウロの口から床に水が滴るのを感じて、慌ててそれを持ち直した。
 魔法薬学室に陳列された薬草には手ずから水を与える。日々授業に、実験に、果てはこの跳ねっ返りが過ぎる彼女の魔法薬のために使われる貴重な素材である。大切に扱うに越したことはない。
 それに植物を慈しむ時間というのは、忙しい毎日の中で心を落ち着ける貴重なひとときだ。だというのに、この落ち着きの“お”の字もない清掃員は、それを邪魔して悪びれる様子もなかった。

「おい、お前は静かに部屋に入ることもできんのか」
「え?」

 ヒトハはそのまま視線を足元に持っていき、小さな水溜りができているのを見つけると、気不味そうに「ごめんなさい」と肩を落とした。

「それで、どうしますか?」

 しかし反省したのも束の間で、すぐに気を取り直して答えを急かす。今すぐにでも出かけるつもりなのか、ヒトハはいつもの制服からエプロンだけ外して軽い上着を羽織っていた。にこにことクルーウェルを見上げる瞳は期待に満ちていて、「行く」と答えるに違いないと思い込んでいるようだ。
 魔法薬を吐いてしまった一件から一週間ほど経った今日まで、体調面も精神面も心配していたが、どうやらその心配も杞憂に終わったらしい。

「一応聞いておくが、これから行く場所はどこだ?」
「パブ的な場所だと聞きました。バルガス先生の行きつけだそうで」

 そしてヒトハは「それで、どうします?」と再び問い掛けながら首を傾げる。
 どうするもなにも、ホリデーの悪夢を学園外でやられてはたまったものではない。あの雪の降る夜に散々世話をさせられたことはまだ記憶に新しく、あれほどの状態の彼女を家まで連れて帰ってやれる自信がないのだ。
 クルーウェルは眉間に深く皺を刻んで、ヒトハがそれを察してくれることを願った。

「賢いお前のことだ。以前酒で失敗した時に俺が言ったことを覚えているな?」
「え? 『酒は飲んでも飲まれるな』?」
「違う! 『金輪際、酒は飲むな』だ!」
「……そうでしたっけ?」

 ヒトハは独り言のように呟きながら小首を傾げた。ほんの小指の先程度の期待を抱いたことすら惜しくなるほどに、いっそ清々しいまでの忘却ぶりである。無理に訂正したところで、どうせまた数ヶ月後に似たやりとりをする羽目になるのだろう。
 どうしたものかと眉間を抑えていると、息つく間もなく溌剌とした声が割り込んでくる。

「おーい、ヒトハ! 準備できたか?」
「あ、バルガス先生」

 アシュトン・バルガスは完成しすぎた肉体と熱血すぎる精神、強靭なまでの根性を持つ、飛行術をはじめとした体育系科目担当の教師である。根性のある人間を好むためヒトハとの相性もいいらしく、魔法薬学室の扉から顔を覗かせて気安く名前を呼び、彼女もまたそれに応えた。
 ヒトハは急にしょんぼりと落ち込んだ声で言った。

「クルーウェル先生、行かないかもしれないです」
「そうか……。そう落ち込むな。お前には俺がいれば十分だろう?」
「バルガス先生……」

 バルガスは細い肩を抱き寄せてわざとらしくヒトハを慰め、彼女は厚い胸筋に身を寄せて落ち込む。クルーウェルはジョウロ片手にどうしようもなく苛立った。

(なんだ、こいつら……)

 くだらない茶番を見せつけられているのは分かっている。しかし自分にすっかり懐いていると思っていた犬が他の人間に平気で尻尾を振っている姿を見るのは、当然ながら面白くはない。一体いつ、これほどのじゃれ合いをするような間柄になったのだ。あれだけ世話を焼いてやった自分を差し置いて。
 クルーウェルはジョウロを机に力強く置くと、あれこれ言いながら教室から出て行こうとする二人を呼び止めた。

「俺がいつ、行かないと言った? 少し待ってろ」

 ヒトハは驚きに瞬いた目を嬉しそうに細めて、先ほどまでのことは嘘だったかのように「はーい」と元気よく答えた。クルーウェルはバルガスが「な、言った通りだろう?」と耳打ちするのを聞かないふりをして、教室の鍵を手に取る。
 突き抜ける方向性が同じ二人を抱えての酒場は気が重い。今夜は人生最長の夜になりそうだ。

 先生はどこにいても様になりますね、と褒めているのか嫌味なのかよく分からないことを言いながら、ヒトハは店内の隅にある粗末な椅子に腰かけた。
 バルガスに連れてこられたのは外観からして古びた店で、荒い木目のカウンターも、使い込まれたビアサーバーも、お世辞にも綺麗であるとは言い難い。しかしそれがどこか趣もあり、客はひっきりなしに出入りをしている。カウンターの奥に陳列されたボトルの銘柄もなかなかに悪くなく、それなりに繁盛している店だというのがよく分かった。
 この独特な渋さのある店内で明らかに様になっていない彼女は、店員に未成年を疑われながら驚くほど慣れた様子で注文をし、初めて来たはずなのに常連のような手際の良さで腰を落ち着けた。

「仕事終わりはやっぱりビールですよね!」

 そしてその容姿に全く似つかわしくない重厚感のあるビアジョッキになみなみ注がれたビールを飲みながら、ここ一番の笑顔を浮かべて言ったのだった。

「せっかく完全回復したんだ。今日はいっぱい飲め!」
「バルガス先生、彼女をけしかけないでください。手が付けられなくなるので」
「そうなんですか? じゃあほどほどにしろ!」

 バルガスはクルーウェルの忠告を聞くとすぐに手のひらを返したが、ヒトハは「なんですって?」と言いながらまともに取り合わない。開始数分で酒が好きなわりに得意ではないという矛盾した体質を発揮し始めていた。ある意味安上がりで結構なことだが、問題は勢いづいた後にどうやって止めるかである。
 クルーウェルは痛み始めた頭を誤魔化すように自分のグラスを手に取った。

「それにしても一時はどうなるかと思ったが、本当に無事でよかったな! お前が倒れた後のクルーウェル先生といったら、それはもう凄かったんだぞ」
「えっ!? そ、それはどんな……? どう凄くなっちゃったんですか!?」
「バルガス先生」

 まさかこの場でそんな話が展開されるとは思わず、騒がしい店内でも通るように声を張る。
 すると、バルガスは悪戯を咎められた子供のように頭を掻いた。

「ま、俺が見たことがないくらいだな」
「気になる! 教えてください!」

 そんな気遣いも酒が入った状態のヒトハには一切通用しない。わぁわぁと騒ぎ立ててなんとか話を聞き出そうと躍起になり、バルガスの二の腕を揺さぶっている。当然ながら微動だにせず、バルガスはヒトハを片腕に引っ付けたままジョッキに口を付けた。

「ビー クワイエット! 煩いぞナガツキ、いちいち吠えるな!」
「だって先生、気になるんです!」
「諦めろ。どうせ酔いが醒めたら忘れてる」
「いーやーでーすー!」

 その様子を見て何を勘違いしたのか、バルガスは大口を開けて笑った。

「やっぱり仲がいいですね」
「それを言うならバルガス先生もでしょう?」

 クルーウェルの素早い返しに、バルガスは目を丸くた。そして思い出したかのように「ああ、それは」と顎をさする。

「仕事用の箒を手配した時にマジフトの話で盛り上がりましてね。そうそう、彼女、魔力に難ありですが飛行術はトップクラスですよ」

 バルガスは大きな手のひらでヒトハの背を叩いた。勢いでビールを少し胸元に引っかけて、ヒトハは苦々しくそれを見下ろす。

「ヒトハ、お前には素質がある! 俺のように筋肉を鍛えれば必ず大成するぞ!」

 バルガスは彼が生徒たちにするように「魔法は筋肉から!」と上腕二頭筋を見せつけながら力強く言い放った。本当に体力育成が魔力云々に影響するのであれば、魔力の乏しいヒトハにとって悪い話ではない。しかし彼女はバルガスのがっしりとした体つきを上から下まで眺めて、複雑そうに顔を歪めたのだった。

「バルガス先生みたいにムキムキになるのはちょっと。どう思います、先生?」
「似合わん。やめておけ」
「ですって。先生に嫌われるから無理です!」

 その答えがよほど面白かったのか、バルガスの痛快なまでの笑いは粗末なテーブルを不安定に揺らした。

「ヒトハは本当にクルーウェル先生が好きだな! だが先生は少しドライだぞ。今からでも遅くはない、俺にしておけ……」

 と本人を目の前にして、この大胆発言である。よくよく見ると彼のビアジョッキはすでに空で、ほどよく酔いが回っているようだ。
 バルガスはもとより色男の部類に入る男である。角張った輪郭に垂れた目元が甘く、鍛え抜かれた筋肉は隆々として逞しい。男らしい色気を持つせいか、演技がかったような低く甘い囁き声が彼には良く似合うのだ。
 しかしヒトハはバルガスの誘いを跳ね返すように、ツンとそっぽを向いて首を振った。

「ないない。バルガス先生と私はマブじゃないですか」
「ふぅむ、それもそうだな。まぁ、俺を好きになられてもお前を悲しませてしまうだけだ。すまないな……」
「はぁ? もしかして今、勝手に私のこと振りました?」

 私にだって選ぶ権利があるんですよ! と、ドンとテーブルに叩きつけられたビアジョッキはやはり空だ。優雅に酒を嗜む余裕などなく、クルーウェルは半ば置いてけぼりになりながら、もうどうとでもなれと思った。
 妙に親しくしている二人が気になって誘われるがままについて来たものの、胸の片隅で燻ったものは杞憂に終わり、今はもうただ仔犬がじゃれ合う様を見せつけられているだけだ。なぜなら彼らの間には、何もない。思い返せば以前マジフトの試合を共に観戦しに行ったというのだから、それで何もないなら本当にないのだ。
 クルーウェルは顔を赤くして楽しそうに冗談を続ける二人を眺めながら、どうしてあの時は気にも留めなかったのだろうかと考えた。しかしどれだけ考えてもあの頃の感情は思い出せず、こんな目に遭うなら引き止めておけばよかったと、今更の後悔が残るだけだった。

 この大いに盛り上がった飲み会は、バルガスが知人に声を掛けられたことでようやく終わりを迎えた。
 時刻もいい頃合いで、二件目に行こうとするバルガスに対してヒトハは眠たげに欠伸を噛み殺している。騒がしい二人に囲まれて疲労困憊のクルーウェルは、ヒトハを引き取って一足先に学園に戻ることにした。
 バルガスは別れ際に酔いに酔ってヒトハの背を叩き「送り狼に気をつけろよ!」と余計な冗談を飛ばしていたが、これまた酔った様子の彼女は頭が回ってないのか「この島、狼が生息してるんですか?」と見当違いなことを口にしている。
 クルーウェルは呆れながら、半ば引きずるようにヒトハをバルガスから引き離した。

「まったく、これだから嫌だったんだ」
「でも行くって言ったの、先生じゃないですか」

 そんな軽口を叩きながら街中を突っ切ろうとするものの、ヒトハは酒の力でいつに増して奔放だった。立ち並ぶ店や細道に目移りをしては、知らない男たちに声を掛けられて立ち往生をしている。割って入れば難なく返してもらえるものの、それが何度も続くようでは堪ったものではない。最終的に手を繋ぐ羽目になったのは、男女の云々というよりは、言うことを聞かない子供を制御するためのようなものだった。
 こうして学園の近くまで戻って来ると人の気配はなくなっていき、周囲は物静かになっていく。高台にある学園を目指し緩やかな坂道を登る最中、ヒトハは突然ぱっと手を離した。

「先生、あの、もう大丈夫なので」

 振り返るとヒトハは暗がりの中でも分かるほどに耳を赤らめて、目を泳がせつつ言った。

「そんなに心配しなくても、もう酔いは醒めましたよ」

 そしてクルーウェルを見上げ、困ったように眉を下げる。

「バルガス先生ったら私が酔ってる間にノンアルコールにすり替えてたんです。慣れてるというか、大らかですけど気が利きますよね、彼」

 そう口にする姿はあまりにもしっかりとしていて、確かに酔っている様子はない。それにしたって途中で違う飲み物にすり替えられて気が付かないなら、アルコールでなくてもいいのではないか。
 クルーウェルは自分がここまで気を揉んでいたことが全くの無駄だったと知って、深くため息をついた。

「お前な、それならそうと言え」
「今言ったじゃないですか」
「もっと早くだ」
「はぁい」

 納得のいかない声で返すと、ヒトハは続けて何かを言おうとして口を開きかけ、そして閉じた。再びゆっくりと歩き出す。

「実はですね、今日は私、先生に大事な話をしなくちゃいけなくて」
「大事な話?」
「はい。それで今日はバルガス先生が協力してくれるって……でも、お酒の力でなんとかしろってことじゃなかったみたいです。素面じゃ緊張しちゃいますね」

 街から離れ、次第に薄暗さの増していく道を行く。知らずのうちに一歩先を進む背を追いかけ、クルーウェルはつい伸ばした手で無防備に揺れる腕を掴んだ。
 振り返り、見上げた目を驚いたように見開き、ヒトハは恥ずかしそうに視線を逸らした。

「……先生、なんだか今日はいつもと違いますね」
「それはお前もだろう」

 ヒトハは少し考え込み、「そうですか?」と返しながら首を捻った。上手く笑えないままの口元が力なく下がっていく。

「あの、先生」

 諦め、あるいは不安の入り混じる沈黙を経て、ヒトハはようやく口を開いた。

「私の怪我の痕って、今のままじゃ消えないんですよね?」

 クルーウェルはひっそりと息を呑んだ。
 それはお互いが自然と避けていた話だった。なぜならもう昨年の段階で「難しいだろう」と考えていて、それを彼女も当然察していたからだ。ただ断定するには早すぎて、あるいは直接に口にするのは憚られて、伝えないままここまできた。その事実を口にするのは自分だと思っていたから、まさか口火を切るのが彼女だとは思わなかったのだ。

「……以前の魔法薬では難しかっただろう。だがまだ他の方法を試していないから不可能と決まったわけでは、」
「私、先生に隠していることがあるんです」

 ヒトハはその一瞬の動揺を見計らったように、強く言い放った。見下ろした先には、どこまでも真っ直ぐに自分を見据える目がある。

「アズールくんとリリアくんに別の方法があるって言われたことがあって、でも私、断っちゃって。私自身も、二人の言うこと以外にも他にいい方法があるかもしれないって、ずっと思っていたんですけど」

 ヒトハはそこまで一気に言い切ると、自嘲気味に笑い、目を伏せた。睫毛が不安げに揺れて頬に暗い影を落とす。

「私は狡いから、先生に負担をかけていると分かっていながら、言わなかったんです」

 そして「ごめんなさい」と囁き程度の掠れた声で告げる。
 そんなこと、と一蹴することもできた。しかしクルーウェルは、あえてそうはしなかった。彼女がここまで悩み、考えた末に出た言葉を無下にしてしまうような気がして。

(まるで壊れものを扱うみたいだな……)

 少し前には鋼のごとく強靭な姿を見せつけていたというのに、今はもう一つ間違えれば崩れてしまいそうなほどの脆さしかない。
 クルーウェルは両手の指を固く結んで断罪を待つ姿を見下ろしながら、小さく息をつき、静かに問い掛けた。

「それで、お前はどうしたいんだ?」

 ヒトハは小さく肩を震わせた。絡めた指先にゆっくりと力がこもる。

「私は……分かりません……」

 予想外の返しだったのだろう。その掠れた声には、隠しきれない迷いが滲んでいた。

「魔法薬を飲むことが負担になっているのなら止めるべきだろう。だがそれは俺が決めることではない。よく考えることだ」

 クルーウェルはその先の言葉を続けきれないヒトハに、ゆっくりと言い聞かせた。
 もし引き留めたなら、彼女はそれに従うだろう。別の治療法を後押ししたなら、それにもきっと従うだろう。しかしそれでは意味がないのだ。共に過ごした時間と経験の中で、彼女はそういう人間であると知ってしまった。自分で考えて自分で決めて、自分で歩んでこそ誰よりも強い輝きを放つ人だ。
 ヒトハはクルーウェルの言葉を丁寧に飲み込んで、そして伏せていた目を大きく開いた。

「先生は、どうして私の治療に付き合ってくれるんですか?」

 その純粋な問いに、クルーウェルは仕方なく笑った。

「さぁ? お前と同じ理由かもな」

 真夜中にいつまでも立ち話をしているわけにもいかず、二人は再び夜道を歩き始めた。
 話はいつの間にか今日の飲み会のことになって、本当はバルガスの筋肉が少し羨ましいだとか、街を出るまでの記憶が曖昧だとか、そういった他愛のない話ばかりになっていく。
 そうして学園に戻り分かれ道に差しかかった時、ヒトハは唐突に足を止めた。

「ありがとうございます、先生。今日はここまでで大丈夫です。次に会う時にはきっと、答えを見つけて来るので……」

 そしてくるりと踵を返したかと思うと、「あ」と小さく声を上げ、腰を捻って振り返った。

「また飲みに行きましょうね」

 ナイトレイブンカレッジを象徴する荘厳な校舎の灯りを背に、ヒトハはもういつも通りの調子で微笑んだ。クルーウェルは釣られるように、口の端を歪めて笑う。

「そうだな」

 あれだけ気が重いと思っていた酒の場だったが、気が付けばもうそんなことを口にしている。
 もしかして、まだ酔いでも残っているのだろうか。はっきりとした意識を持っているくせにどこか正常ではないような気がして、クルーウェルはそのまま眉を下げて苦笑した。
 最初は仕事の一環で始まったことだった。学園長から頼まれて断る理由もなく、なんて可愛げのない仔犬の世話が始まったものだと増えた仕事を憂いたこともあった。会話を重ね、時を重ね、歩み寄ろうとする健気さに気が付いて、それから――もう辞めてもいい彼女の世話は、今や仕事の枠を越えようとしている。

(しばらく酔いは醒めそうにないな……)

 夜闇にぼんやりと白く浮かぶ後姿を見えなくなるまで見送り、クルーウェルは別の道へ歩み出した。

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