魔法学校の清掃員さん
21-12 清掃員さんの願い
「この俺が助けてやった命を何だと思ってる! 二度も三度も助けてやらんぞ! この、駄犬が!!」
「ごめんなさーい!!」
いつもであれば静かな保健室に怒号が飛び、ひたすら謝り続ける声が飛ぶ。保健室の先生は「まだ終わらないのか」と遠い目をしながら珈琲を啜っていた。
ヒトハは毒殺未遂の犯人と戦ったその日、再び保健室に担ぎ込まれた。全身の切り傷や打撲、火傷に加えて重い魔法薬の副作用を抱えた状態に、保健室の先生が「何考えてるんですか?」と声を荒げて怒り始めたのは、もはや仕方のないことである。せっかく快方に向かった患者が毒薬でボロボロの体に鞭打って帰って来たとあれば、誰だって怒りたくなるものだ。
この激怒した保健室の先生によってヒトハは再びベッドへ沈められることになったのだが、今回はさすがのヒトハも大人しくベッドと仲良くしていた。魔法薬の副作用が落ち着くまでの丸一日、ベッドの上で数日ぶりの地獄を見ることになったのだ。
副作用の症状はまるで荒波の中を船で漂っているかのような強烈な吐き気で、あまりの気持ち悪さに立ち上がることすらままならない。吐き気だけでいえば毒薬の方が遥かにましだった。
しかしこれだけ重い副作用の割に症状はただの酷い体調不良に留まり、後遺症が残るようなものではなかったのは不幸中の幸いである。モストロ・ラウンジで大きな対価を払っただけあって、彼らはこの上なく優れた魔法薬を用意してくれたのだ。
こうして苦しみを乗り越え、なんとか起き上がれるまでに回復したヒトハの元には少しずつ訪問者が現れるようになった。
「まさか貴女がこんなにお転婆だったとは思いませんでしたよ」
一番にやって来た学園長は、そんなことを言いながら仮面の下で呆れた顔をしていた。使われていなかったとはいえ、ヒトハは校舎の通路を無茶苦茶にしてしまったのだ。
叱られるのを覚悟で身構えていたものの、そのあと彼が口にしたのは意外にも労いの言葉だった。
「こんな無茶はもうしないで欲しいですが、とはいえ、この学園が貴女に救われたことに違いはありません」
彼は今回の件で相当頭を痛めていたようで、大事になる前に解決できたことを喜んでいるようにも見えた。「クルーウェル先生の強い反発がなければ、囮をお願いしていたかもしれませんね」とぼやいていたくらいだから、学園を預かる者としての責任と板挟みになっていたのかもしれない。ここまで彼を追い詰める要因の一つとなったクルーウェルの計画が、いかに無理を通したものだったか。ヒトハはその時初めてそれを実感した。
問題はその後だ。
落ち着いたと知るや否や保健室の扉を蹴破る勢いでやって来たクルーウェルの説教は、想像絶するものだった。
俺を謀ろうとは、いい度胸だな駄犬!! から始まり、永遠に続くかと思われる説教に次ぐ説教。声量だけで振動する保健室。セベク顔負けの大迫力である。もはや泣いて伏せをしても許されることはなく、気が済むまで叱られるしかない。ヒトハは震えながら「ごめんなさい」「すみません」「大変、申し訳ございません」と謝罪を繰り返した。
とはいえ、ヒトハの鋼の忍耐にも限界はある。
「あんな無謀なことに命までかける馬鹿がいるか!!」
「だ、だって、先生が『できる』って言ったから……」
と、つい口答えをしてしまった。実際、あれだけ無謀な挑戦ができたのはクルーウェルの後押しのおかげでもある。
それを聞くなり、彼はただでさえ鋭い目つきを険しくして、忌々しく言った。
「愚かにも、お前の企みに気が付かず、お前を鼓舞してしまったことを俺は深く後悔している」
「企みって……」
「また同じことがあったら問答無用で縛って極東に送り返してやるからな」
「…………」
やりかねない。なんなら指揮棒についている赤い首輪で柱に括りつけられて返送されてもおかしくはない。それだけ凶悪な顔をしている。
「でも、でも私だって悔しかったんです……」
それでもヒトハは肩と声を萎ませながら口答えを続けた。
「何もできないまま出て行くなんて嫌だったんです。どうせなら、やらないで後悔するより、やって後悔したかったんです」
もしも諦めて極東へ帰っていたら、ほんの少しでもあった可能性が完全になくなってしまう。それだけはどうしても嫌だった。絶対に後悔すると分かっていたからだ。
しょぼしょぼと俯いてしまったヒトハを見下ろし、クルーウェルは地の底より深いため息を落とした。
「お前の言い分は分かった。だが一人で挑む前に、他に頼るべき者がいただろう」
「他に……警察とか? でも、あまり大ごとにしたら逃げられちゃうかもしれないし……」
ヒトハがそう答えると、クルーウェルは途端にどっと疲れた顔で頭を抱えた。「いや、もう、それでいい……」と嘆いてベッド脇の椅子に座り込む。
「ごめんなさい」
ヒトハは本日何十回目かの謝罪を口にして肩を落とした。何度口にしても、その意味が軽くなることはない。命を助けてもらったこと、その命を賭けてしまったこと、迷惑をかけたこと、心配をかけたこと。その全てを反省している。
「もういい。お前がそこまで思い詰めていたとは思わなかったからな。それに、お前程度の嘘が見抜けなかった俺の責任でもある」
と、クルーウェルは理解をしたかのように見せかけて嫌味を吐き出す。ヒトハは「これはしばらく根に持ちますね」と肩を竦めた。
「一生言ってやるからな」
「一生私といる気ですか?」
彼は疲れで頭が回らなくなってきたのか、険しい目をしたまま宙を見た。
「毎年ホリデーカードに書く」
「カ、カードに……」
ヒトハは毎年貰うホリデーカードに嫌味が添えられているのを想像してげんなりとした。
クルーウェルはかなり執念深い男だ。そうでなければ頑なにパーティーを嫌がるヒトハを極東まで追いかける宣言などしないし、生徒たちに『泣いて伏せするまで躾ける』などと噂されたりはしない。噂されるからには、何かしらの根拠があるものだ。
やってしまったことは仕方がないので受け入れよう、とヒトハは一生涯言われ続けるであろう嫌味に関しては諦めた。しかし一つだけどうしても主張しておきたいことがある。
「というか私、嘘は言ってませんでしたよ」
「なんだと」
実は「嘘が下手」と散々言われていたことを気にして、いかに作戦を悟られないかを考えた結果、嘘をつかないことにしたのだ。
犯人探しはゴーストに任せて学園中を歩き回っていただけだし、クルーウェルに宣言した“やりたいこと”はちゃんとあったし、全て失敗したら死んでいなくなるか、その日の夜に本当に出て行くつもりだった。
それを伝えると彼は「そんな頭の悪い作戦に俺は騙されたのか……」と酷く落ち込んだ。失礼極まりないが、ヒトハ自身も雑な作戦だと自覚していたから反論のしようがない。あんな短時間で立てられる作戦なんてその程度のものだ。
「それにしてもゴーストか。現場に複数いたのは知っているが、結局何をさせていたんだ?」
「ああ、それはですね、これです」
ヒトハはベッド脇に置いていたスマホを手に取り、指を滑らせた。画像フォルダを開いてクルーウェルに突きつける。
「私が学園中歩き回っている間、犯人を特定するために怪しい生徒の写真を片っ端から撮ってもらっていました。ほら、ゴーストって透明になれますし、すり抜けられるじゃないですか。結構簡単だったみたいですよ」
画像フォルダにはヒトハの周りにいた生徒のありとあらゆる写真が保存されている。無関係の生徒たちにしてみれば迷惑だろうが、これが思いのほか役に立った。顔さえ見れば犯人を思い出せるのだから、怪しい生徒を絞って片っ端からじっくり見ていけばいい。
「特定した後はただひたすら尾行してもらって、当日は私の望む場所で仕掛けてもらえるように私の側に付いてもらってました。さすがに犯人も一人でゴーストと私を相手にしたくはないでしょう?」
「まさかお前、学園中のゴーストを巻き込んでいたのか?」
ヒトハはスマホを仕舞いながらにやりとした。
「ええ。先輩と同僚たち全員と、あとは先輩の人脈を頼りに他のゴーストにもお願いしたら凄い数になりました。下手な監視カメラより効果があります」
先輩が食事を持って来てくれたあの日、思い切ってお願いをしたら彼は二つ返事で引き受けてくれたのだ。
清掃員以外のゴーストまで誘うことになったのは想定外だったが、そのおかげで勝負の日まで安全は確保された。だから学園中を所構わず歩き回っていても全く不安はなかったのだ。事情を知る人たちは気が気ではなかっただろうが。
「しかしそれだけの数、よく手伝ってもらえたな」
「そう、それなんですけど、お礼は何がいいですか、って聞いたら『仕事を辞めないで』って言われちゃって。私は幸せ者ですね」
気の良い彼らはヒトハに見返りを求めなかった。このスリルある仕事を楽しんでいた節もあるが、それでもヒトハひとりの力では到底成し得なかったことだ。
「たしかに、普段からゴーストと仕事をしているお前ならではの策ではあるな」
「でしょう?」
「調子に乗るな。ひとりで戦ったことは深く反省しろ。二度とするなよ」
「はい、もうしません。……多分」
クルーウェルの睨みを受け流し、ヒトハはこっそりと付け加えた。
もしもまた戦いに挑むことがあるとするれば、それはきっと自分のためで、生徒たちのためで、目の前にいる彼のためなのだろう。それには、それだけの価値がある。
そうなった時はちゃんと相談しようと思うくらいには反省しているが、クルーウェルはあまり信用する気がないのか、相変わらず勘繰るような目をしていた。
ヒトハはその目から逃れるように「そういえば、先生」と慌てて話を逸らした。
「“おまじない”なんですけど、あれって結局……」
彼は今の今まで忘れていたのか、「ああ、あれか」と思い出したかのように言った。
「あれは攻撃魔法に対して一度だけ障壁を張る防御魔法の一種だ。防げる魔法に限度があるうえに一日程度しかもたない。魔力も魔法力も馬鹿にならないコストパフォーマンス最悪な魔法だからな。知らなくとも無理はないだろう。まぁ、お前に怯えられても困るから適当に“おまじない”にしておいただけなんだが」
ヒトハはクルーウェルの答えを聞いて、両手に視線を落とした。やはりあの時、魔法を弾いたのは彼の“おまじない”だったのだ。
「じゃあ私、ずっと先生の魔法に守ってもらってたんですね」
コストパフォーマンス最悪、とまで言った魔法を毎晩毎晩ここへかけに来てくれていたおかげだ。あれだけ仕事と事件のことで疲れていたのに、一日もかかさず。
どれだけの負担をかけていたのだろうと思うと申し訳なさがぶり返してきて、ヒトハは再び肩を萎ませた。
「なんだか、ごめんなさい」
「もう謝るな。他に言うべきことがあるだろう?」
「ええ? 他に…………先生大好き?」
するとクルーウェルは複雑な顔をしながら額を抑えた。
「冗談ですよ。ありがとうございます」
「冗談のセンスがなさすぎるだろう。はぁ、どうしてお前はいつもいつも……」
しばらく文句を口にしていたクルーウェルはその途中で額を抑えていた手をぱっと離した。
「そうだ、犯人の身元と目的が分かったが、聞きたいか?」
「ああ、いえ、それは結構です」
クルーウェルの問いに、ヒトハは迷いなく答えた。
「あの子が何者で、何を目的にしていて、これからどうなるのか。さすがにそれを聞いて平気でいられるほど、私は強くありませんので」
自分を殺しかけた犯罪者とはいえ、この学園の大切な生徒たちと重なってしまえば情が移ってしまう。今だって、気を抜けば彼はどうなっただろうかと考えてしまうのだ。
だからヒトハはこの騒動を自分の中でこう処理することにした。
これは売られた喧嘩を買っただけで、勝者の権利として敗者を追い出しただけのこと、と。
「いっぱい褒めてくれたのに、失望しました?」
首を傾げて尋ねると、クルーウェルは「いいや」とずっと眉間に寄せていた皺を解いた。
「それでも強すぎるくらいだ」
その答えを聞いて、ヒトハはやっと肩の荷が下りた気がした。
「私がここにいたいから、代わりにあの子に出て行ってもらった。今回のことは、ただそれだけの話です。そういうことにしておいてください」
開け放った保健室の窓から春の暖かな風が通り抜ける。クルーウェルは揺れる白い前髪を搔き上げながら言った。
「お前、一度闇の鏡の前で魂を見てもらえ。絶対サバナクローに振り分けられるぞ」
「サバナクロー? ってことは、レオナ寮長ですか……」
ヒトハはほんの少し考えて、うん、とにこやかに頷く。
「悪くないですね! 楽しそう!」
「はぁ………………」
そのため息すら春風に消え、学園に再び穏やかな日常が戻ってくる。
こうしてヒトハの想像絶する不運な出来事は幕を下ろしたのだった。
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