魔法学校の清掃員さん
17-03 清掃員さんとホリデー
「私の隣の部屋が空いてますよ」
ヒトハは悩みに悩んでそう答えた。
クルーウェルはホリデー前に採寸した服のフィッティングをしたいのだと言う。フィッティングと言われてもすぐにはピンとこなかったが、要するに作った服を調整するために一度着て欲しいということらしい。
ヒトハは服一着にそんな大掛かりなことをしたことがなく必要性がよく分からなかったが、わざわざ学園まで足を運んでくれた手前、断るわけにもいかなかった。
そうと決まれば部屋がいる。適当な部屋を見繕えばいいのだろうか、と思いついたのが自室の隣にある使われていない部屋だ。ヒトハが入居した部屋と同じく家具がすでに一式揃っていて、すぐにでも住めるように整えられている。ホリデー直前に清掃に入ったこともあり、清潔さは折り紙付きだ。
「悪くないな」
とクルーウェルが顎に手を添えて満足げにしているのは、部屋の清潔さについてではない。部屋に着くなり押し付けられた、この深い緑色のドレス姿を見てのことだった。
ドレスといっても大袈裟なものではなく、パーティードレスに近いが露出は控えめなシンプルな作りのものだ。肌触りの良い生地と控えめなAラインのスカートはほどよく可愛くもあり、大人らしくもあった。
「もう少し丈は長めでいいか」
彼はぶつぶつと言いながらメジャーを当てては紙に何かを書き残している。最初こそ気恥ずかしさもあったが慣れてしまえばマネキンにでもなった気分で、ただ棒立ちしながら「背を伸ばせ」やら「腕を上げろ」やらの指示に従っていればいい。ヒトハは早々に考えることをやめて、目の前の姿見をじっと見ていた。仕事のせいか、なんだか腕に筋肉が付いてしまったような気がする。
「ナガツキ」
「はい」
「手を出せ」
「はい」
ヒトハは言われるがままに両手を差し出した。外に置いてきた手袋でも生徒に借りた手袋でもない、真新しい真っ白な手袋が目に入る。どうにも落ち着かず、この部屋に来る前に生徒の手袋と取り替えたのだ。
クルーウェルはその白い手袋をいきなり抜き取ってテーブルに放り投げた。
「ああっ」
「ドレスに合っていない」
そして手袋を目で追うヒトハにぴしゃりと言い切って、二、三歩下がり「よし」とひとりでに納得した。
「でも、先生……」
ヒトハは躊躇いがちに言った。
クルーウェルの前で手袋を外すのは初めてではない。むしろ外し慣れているくらいだ。それでもこうして仕立ててもらった真新しい服を着たからには、傷痕は隠したくなってしまう。
両手を落ち着きなく擦り合わせるヒトハを見て、クルーウェルは眉を寄せた。
「俺はこの服をお前に似合うように仕立てたんだ。不要なものは不要! それとも、俺を疑うのか?」
「い、いいえ……」
疑うのか、とまで言われて「はい」と返せる人間がいるのなら見てみたい。ヒトハは結局、気圧されて「とんでもないです」とも付け加えた。
「だが本人が気にするなら一考の価値はあるな。気後れするようでは意味がない」
あれだけ強く言い切りながらも何か閃いて、クルーウェルは先ほどから書き込んでいる紙に素早くペンを走らせた。しかしよほどいい案なのか、いつまでたっても書き終わらない。
手持無沙汰のヒトハはスカートを摘まんで広げながら、それをしげしげと眺めた。光の当たり具合で色味が変わる素材だ。黒にほど近い色になるかと思えば目が覚めるような鮮やかさを見せる。普段着ではなかなかお目にかからない生地だが、こうしてドレスとして見ると、これほどふさわしい生地もないのだろう。
「先生、魅力がどうとかって言ってましたけど、これがその服なんですよね? 私の魅力って結局何ですか?」
クルーウェルは手を止めてペンを片手に腕を組むと、紙を広げていたテーブルに寄りかかった。
「歳の割に少し若く見えるせいで優しそうな印象を持たれがちだが、活発な性格と芯が強いからか状況に応じて別人のように見えるところ。一言で言えば、表情が豊かなところか」
「へぇ」
まさか真面目に返されるとは思わず、ヒトハは驚いて目を瞬いた。
「いや、お前は芯が強すぎる。もっと柔軟性を身につけろ」
そして次の瞬間にはなぜか叱られていた。
それでも他人からの印象というものは新鮮で、嬉しくもあり、気恥ずかしくもある。
「先生にはそういう風に見えてるんですね。自分をそんな風に思ったこと、一度もなかったな」
頑固と言われることは多かったけれど、その性格が「芯が強い」と言われるほどのものだとも思えなかった。自分が「頑固」と言われる時、それは大抵の場合いい意味ではなかったからだ。
「私、融通効かないだけだし、なのに諦めたこともたくさんあるし、みんなの顔色窺ってばかりだし、それに――」
ヒトハがそうではない理由を並べようとするのを、クルーウェルは「俺の評価にケチをつける気か?」と不機嫌に遮った。
「大体、愚直さが売りなのに顔色を窺っているなどとつまらん嘘をつくな」
「愚直……」
クルーウェルは自分の感性を否定されたのがよほど腹に据えかねたのか、酷く挑発的な態度だった。こうなってはヒトハには言い負かすことができないし、それほどまでの自信があるのだろうから、信じるしかない。
彼は片手に持ったペンをいつもの指揮棒のようにヒトハに突きつけた。
「俺の評価は絶対だ。素直に受け入れろ」
「そんな無茶苦茶な……」
ヒトハはペン先を見つめながら、呆れて呟いた。
デイヴィス・クルーウェルという男は根拠と理論で物を言うことを仕事にしているはずなのに、たまにそれを凌駕する自信を見せつけてくる。知識か、経験か、それこそ第六感的な感覚かは分からない。それでもなぜか信用できてしまう。そうなのだと思わされてしまう。
ヒトハはペン先から視線を上げて仕方なく笑った。
「まぁでも、先生が言うのなら、きっとそうなのでしょう」
そうやって簡単に信じてしまう自分も、彼と同じで結構無茶苦茶なのかもしれない。
フィッティングを終え元着ていた服に戻り、ヒトハは貰ったケーキをテーブルに広げた。隣が自室ということもあって、色々と持ち込めばテーブルの上はちょっとしたお茶会のような充実ぶりになる。
二人は特に意図したわけでもなく、いつも魔法薬学室でしているような雑談を始めた。
「えーっと、あ! お顔が美しいですね。あ、あと背が高い? 足が……足が長いですよね。こう……シュッと」
このどうしようもない雑談は、ヒトハがクルーウェルの言う“魅力”とは一体何なのか探ろうとしたところから始まる。
どこどこの寮のあの生徒はどうか、あの先生は、と質問してみると彼はスラスラとその人物の印象を豊富な語彙で表現してみせた。
ヒトハは最初、彼の言う魅力とは見た目のことかと思っていたのだが、案外それだけというわけでもないらしい。内面から滲み出る仕草や振る舞いも対象で、それは彼がよく他人のことを見ているという証明でもあった。こういうところに教師としての適正があるのだろう。
「次はお前の番だな」
ヒトハが面白がって長々と語らせていると、クルーウェルは面倒になってきたのか、今度はヒトハに同じような話をさせようとした。
しかし他人の魅力を語るなんてことは人生で一度もしたことがない。ヒトハは手始めに「じゃあ先生から」と自分で墓穴を掘ったのだった。
そうして捻り出した答えに、クルーウェルはがっかりとした顔で手を追い払うように振った。
「いや、もういい。お前、ろくに他人を見ていないだろう? それにその壊滅的な表現はなんだ? あのジグボルトの詩集から一体何を学んだんだ?」
「む」
クルーウェルの畳み掛けるような酷評にヒトハは口を曲げた。無性に悔しくて、是が非でもこの感性と表現力の塊のような男を唸らせるようなものを思いつきたくなる。
つい熱が入って、ヒトハは「いえ、ちょっと待ってください!」と話を止めようとするクルーウェルを引き留めた。
「先生の良いとこ……」
見かけで語るのはもう諦めた。さすがに自分でも酷すぎると分かったからだ。それならもっと素直に思ったことを言った方がいい。いつかセベクに本の感想を伝えた時のように気持ちを偽ってしまうのは誠実ではないし、すぐに見抜かれてしまう。
ヒトハはテーブルの向こうで自分をじっと見る男を見返した。
ファッションは派手だし、話し方に威圧感があるし、すぐ怒るし、怒ったら怖い。それでも自分は、それだけではないと知っている。
「先生、仔犬どものこと、愛してますよね」
クルーウェルは切長の目を丸めて、意表を突かれた顔をした。
「あ! 当たりですか!? 先生、生徒たちに怖がられてるけど、結構面倒見いいですし。レオナくんを探し回ってたのだって、どうでもいい生徒なら普通は放っておきますよね。だから生徒たちのこと、好きなのかなって」
珍しく何も言い返してこない。図星だろうか。当たりを引いたのだと思うと、つい嬉しくなって頬が緩んでしまう。
魅力とは、結局のところ主観でしかないのかもしれない。その人の良いと思うところで、つまるところ“好ましい”と思うところだ。
ヒトハは語りながら納得して、思ったことを素直に口にした。
「私、先生のそういうところ、いいなって思います」
それは会話の糸がぷつりと切れたように。ほんの一瞬の沈黙の間、クルーウェルの初めて見る表情を目にして、ヒトハは一度そっと口を噤んだ。
「照れてます?」
「照れてない」
不愛想な声に思わず抑えきれなかった笑いが漏れる。それを見る目が険しくなっていくのが面白くて、ヒトハはひとしきり笑って薄く涙の滲んだ目元を拭った。
「私も好きですよ、仔犬ども。ここの生徒は癖が強いし悪知恵も働くけど、優しいところもあるでしょう? なんだか見ていて飽きないんですよね」
ふと、ヒトハは先日見た夢のことを思い出した。あの夢では先生のことを煙たく思っていたものだが、もしかしたら、あの先生は今の自分と同じような気持ちだったのかもしれない。癖は強いし手はかかるし悪知恵は働くし言うことは聞かないけれど、気になってつい世話を焼いてしまう。そんな愛情のようなものが、彼にもきっとあったのだろう。
「学生時代の魔法薬学の先生に凄く変わった人がいたんです。魔法薬をよく提供してくれて――私にも厳しくしてくれるいい先生だったんですけど、その人が『正しいと思う道を選びなさい。いつか落ち着く場所にたどり着くだろうから』って言ってくれたんです。私、この学園がその場所だったらいいなって思ってます」
カーテンを開け放った窓を見る。日が暮れかかり薄暗くなった外には、雪が静かに降り続けていた。今日、箒に乗って空からこの学園を見たなら壮観なことだろう。
不意にあの日目に焼き付けた光景が蘇る。
――この学園で生きていく。
それは初めてこの学園で過ごした夜に決意した気持ちとは少し違うものだった。
生徒たちを見守りながら、この学園で生きていきたい。掃除くらいしかできないけれど、それだって彼らの成長の手伝いに変わりない。それからこうして穏やかに、ただただ穏やかに、ささやかなお茶会と他愛のない話をする。それはとても幸せなことだと思うのだ。
「不運続きで落ち着く暇がないんじゃないか?」
「そうですけど……でもそれも、ひとつの経験ですよね」
相変わらずの素気無い言葉にヒトハは苦笑した。このつれない態度にも、もうすっかり慣れてしまったものだ。
「先生、せっかくだからゆっくりしていきません?」
ヒトハは立ち上がり、もう一度窓の外を見た。まだこの時間を終えるのが惜しい。
クルーウェルは黙って眉を上げるだけで立ち上がる様子がなく、提案に付き合うつもりのようだ。ヒトハは「ちょっと待っててください」と言い残して隣の自室に戻った。
「これ、サムさんが良いの入ったからって」
そう言いながら持ち出したのは、ホリデー前に購買部のサムから仕入れたワインである。年末にひとり寂しく飲もうかと思っていたが、他に人がいるなら開けないわけにはいかない。
クルーウェルはヒトハがうきうきとワインボトルを抱えているのを見て、意外そうに言った。
「お前、酒が飲めるのか」
「ええ、実は結構好きなんです。明日もお休みですし、今日は飲んでも大丈夫かなって!」
――などと言いながらヒトハが次に目を覚ました時、最初に目にしたのは自室の天井だった。
猛烈な頭痛と吐き気を抱え、暖かなベッドの上で唸る。久しぶりの完全な二日酔いだ。カーテンの隙間から漏れ出る光は間違っても早朝のものではなく、長いこと眠り続けていたのだろう。
昨晩ワインを開けた後の記憶がない。誰かが見張っていることに安心して、あの日の失敗をすっかり忘れていた。しかし格好がまるで変わらずベッドまで辿り着いているということは、自力で帰って来たということだろうか。
「うう……あたまいた……」
ヒトハは重い頭を抱えてのろのろと起き上がり、水を飲もうとキッチンへ向かおうとした。二日酔いの薬はあっただろうか。今はそれすら考えるのも億劫だ。
その時、ヒトハはテーブルに一枚の紙が落ちているのに気が付いた。覗き込むと、そこには苛立ったような鋭い字で『二度と俺の前で酒を飲むな』と書き殴られている。
よくよく見れば椅子の背凭れに丁寧にコートがかけられているし、ワインを飲んでいた時に履いていたはずのブーツはきちんと両足揃ってベッド脇に置かれていた。これは明らかに泥酔した人間ができることではない。
「やってしまった……」
ただでさえ重い頭がさらに重くなったような気がして、ヒトハはクルーウェルの怒りの書き置きを握りしめてテーブルに突っ伏した。しばらく立ち直ることはできなさそうだ。
どうにかして彼の記憶を抹消したい――
それはヒトハの魔法全てをもってしても叶いそうにはなかった。
***
「よっ、と」
ヒトハはもう溶けて小さくなってしまった雪の塊からバケツを取り上げた。枝に引っかかった手袋は野晒しにされてボロボロになっていたので、今日でお役御免だ。
あのなんとも苦い思い出のある夜を越え、ホリデーが明けたその日の昼休みに、ヒトハは生徒たちと作った雪だるまを解体することにした。オクタヴィネルの三人がわざわざ解体作業を手伝いに来てくれたのだが、雪だるまはもう半分以上は溶けて特にやることはなさそうだ。
「あんなに頑張ったのに崩すのは一瞬だもんなぁ」
一人がそんなことを言い出して、ヒトハは苦々しく笑った。
上手く魔法を使えば雪の塊を作るのはあっという間だが、この様子だと地道に作ったのだろう。名残惜しいと思うのは当然だ。それに学生という有限の身分にいる彼らは、もう二度と一緒に雪だるまを作ることはないと思っているのかもしれない。
「次からは私も参加するので、来れる人は手伝いに来てくださいね」
ヒトハはそう言いながらショベルを雪に突き立てた。ぐっと力を込めると、固まりは砕けて呆気なく崩れる。
それでも雪は季節を巡って何度だって降るのだ。何度だってチャンスはある。またみんなで集まって雪だるまを作る機会だって、きっとあるはずだ。
生徒はこんな時でも「日給は?」と安定のちゃっかり具合だった。よくオクタヴィネル寮の生徒は模範的で行儀が良いと聞くが、やはり個人差があるらしい。このがめつさは許容範囲なのか、闇の鏡に問い詰めなければならない。
ヒトハは少しだけ悩んだ素振りを見せて人差し指を立てた。
「ランチ一回!」
生徒たちはそれで納得したのか「やった!」と声を上げた。それくらいで済むのなら可愛いものである。願わくばこれ以上のものを要求するような悪知恵を付けませんように、とヒトハはこっそり祈った。
「ヒトハ」
解体作業を終え、三人の生徒を見送ったあとのこと。ヒトハは聞き慣れた声の聞き慣れない呼び方に怪訝な顔をして振り返った。
「はい?」
ホリデーぶりのクルーウェルは、至っていつも通りの顔をしてそこにいた。
「どうした?」
「お久しぶりです、先生。えっと、そんな呼び方でしたっけ?」
クルーウェルは少しだけ沈黙して「お前、やはり覚えていないのか」と呻くように答えた。
覚えていない、といえば酒で失敗したあの日しかあり得ない。ヒトハが覚えているのはワインを開けようとしたその時までで、その後のことはすっぽり記憶から抜け落ちている。何をしたのかまったく想像もつかなかったが、この様子ではろくでもないことをしたに違いなかった。
顔をみるみるうちに青くするヒトハに、クルーウェルは深く長いため息をついた。
「俺の前で酒を飲むなとは言ったが、お前はもう金輪際、酒を飲むな。始末に負えん」
「そんなに!? わ、私は一体何を……?」
ヒトハはなんとかして聞き出そうとクルーウェルに詰め寄ったが、結局彼は乾いた笑みを浮かべるだけで何も教えてはくれなかった。
「面白かったのは確かだがな。まぁいい。ナガツキ、スマホを出せ」
「はぁ」
ヒトハに記憶がないと知るや否や呼び方を戻して、クルーウェルは突然片手を差し出した。赤い革手袋が早くしろと急かしてくる。
ヒトハはわけも分からないままコートのポケットからスマホを取り出して、手のひらに乗せた。彼はそれをさっと取り上げたかと思うと、慣れた手つきで指を画面に滑らせる。
「あの、なにを……?」
やましいものは何もないが、何をされているのかはやはり気になる。
そわそわとしているヒトハを尻目に操作を終えると、クルーウェルはすんなりとスマホを投げて寄越した。
「俺の連絡先が分からなくて困っていたようだったからな。ただし、用もないのに連絡してくるなよ。いいな」
そして踵を返したかと思うと、さっさと校舎に戻って行く。
ヒトハは投げ返されたスマホを片手にしばらく考え込んで、恐る恐るコートのポケットに手を入れた。
「あーっ!」
あの日、このポケットに押し込んだものがない。
まだ冬の真っ只中だというのに、どっと汗が噴き出してくるようだ。カードを処分し損ねた自分が悪いのは確かだが、それ以前に、黙って持って行くなどあんまりである。
ヒトハは手にしていたショベルを放り出し、雪に足を取られながらも小さくなっていく背中を追いかけた。
「返してください! 先生! 先生ー!」
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