魔法学校の清掃員さん

17-02 清掃員さんとホリデー

 ――来年もよろしくお願いします
 ――良いホリデーを

 そんな定型文を綴り、ヒトハは冷えた指先を擦り合わせた。
 せっかくホリデーカードを書いているのに気の利いた文章が全然思い付かない。幸いにしてカードは絵も飾りも付いた賑やかなものなので、文章を書く場所は狭く、定型文で事足りる。ただもう少し文字が綺麗だったら良かったのに。ヒトハは書き上げたカードを目の前に広げて肩を落とした。丸みを帯びた字が少し子供っぽくて、笑われないか不安だ。
 カードを手に、ちらりとカーテンを開け放った窓を見る。いつの間にか降り始めた雪が木々を白く染め、外は本格的な冬模様だ。これから年末まで断続的に降り続け、積雪の予報である。
 ヒトハは長々と近況と来年のことを綴ったセベクのホリデーカードを机の脇に寄せて、最後の一枚を手に取った。やたら質のいい黒いカードで、繊細な銀の装飾があしらわれている。
 ヒトハは再びカードにペンを滑らせた。書き始めに緊張して文字がよれてしまったが、書きたいことは多く、筆はよく進んだ。最終的にその文章がセベクと同等の量になってしまったのに驚いて、思わず笑ってしまう。こんなに書くはずではなかったのだが。
 来年もよろしくお願いします、と最後に締めて、今度は宛名書きを始めようとして気が付いた。

「住所知らない……」

 宛先も分からない癖に一体何をそんなに必死になっていたのか。恥ずかしくなって、ヒトハは誰も見ていないのに勝手に顔を赤くした。
 誤魔化すように椅子に掛けていたコートを掴み取り、書き上げたカードを纏めてポストに入れに行こうと立ち上がる。その時うっかり宛先のないカードまで持っていたのがまた恥ずかしくて、それを慌ててコートのポケットに突っ込んだ。

 外に出ると地面にはすでに薄い雪の膜が張っていた。学園にはほとんど人がいないこともあって、歩くたびにまっさらな雪に自分の足跡ばかりが残ってしまう。目的を果たしたあとの帰り道ではなるべく足跡を辿ろうと気を遣ってみたりもしたが、すぐに無駄だと悟ってやめてしまった。今日中にはきっと新しい雪が積もって消えてしまうことだろう。
 地面から目を離し、歩きながら気まぐれに視線を巡らせる。ナイトレイブンカレッジの雪景色は想像していたものよりもずっと美しかった。学園に点在するガーゴイルの鼻先には長く氷柱が伸び、ベンチは白くなって景色に溶け込んでいる。生徒がいたならば、雪は取り払われてこうはなっていなかったかもしれない。

「あ、おつかれさまです」

 散歩がてら校舎の近くをぐるりと回っていると、やたら着込んだ先輩が外をうろうろとしていた。先輩はずんぐりむっくりの白い塊で、服を着込んでいなかったら雪に馴染んで気が付かなかっただろう。
 先輩はヒトハに「おつかれさま」と返すと、すっと校舎の天辺に視線を移した。

「知ってた? 上から見たら綺麗なんだよ」
「上? でも校舎を登るの大変ですし……」

 先輩の言う「上」というのは校舎の高い位置にある尖塔のことだ。階段をいくつも上り、やっとたどり着く場所から見れば、たしかに敷地を一望することができるだろう。しかしそれには、やはり労力がかかる。
 渋るヒトハに対して先輩はにこにことしたまま、「箒に乗ればいいんじゃない?」と答えた。

「ああ、なるほど」

 ヒトハは久しく箒に乗っていないことを思い出して用具倉庫に走った。本当は仕事の最中しか乗ってはいけない約束だったが、今は誰も見ている人がいないどころか先輩の勧めもある。同僚たちもこれを咎めるような性格ではない。
 ヒトハは倉庫から取り出した愛用の箒を先輩の元へ持って行くと、その柄に気兼ねなく跨った。

「とても綺麗ですね」
「この景色は何十年見てもまだ飽きないよ」

 頬を冬の冷たい風が撫ぜる。普段の仕事ではほとんど行かない高さまで上昇すると、隣を浮いている先輩はため息をつくようにしみじみと言った。
 なるほど先輩が言うだけあって、学園を囲む森から運動場、校舎に至るまで白く覆われている景色は格別だ。まだ積雪の量が足りておらず薄く地面が見えている場所もあるが、きっとあと数日もすれば一面の銀世界になるのだろう。

「うわっ」

 ヒトハは学園の渕にある切り立った崖の先を見ようと身を乗り出し、その時うっかり箒の柄から手を滑らせた。

「死ぬかと思った!」

 必死で柄にしがみつくヒトハを見て、先輩は面白そうに笑った。落ちたら即死は免れないような危険に瀕したのに、こうも笑われると釣られて面白くなってくる。ヒトハは笑いながら「笑わないでください!」と咎めてみたが、先輩は当然やめてはくれなかった。

「未練、ある?」
「未練?」
「未練があったらゴーストになれるよ」

 先輩は急にそんな不穏なことを言い出した。
 強い未練があればゴーストになれる。周りにゴーストになった人がいないヒトハには想像もつかないが、それがこの世界の常識だ。どれくらいの未練かは分からないが、大抵の人は老衰で死なない限りゴーストになってしまいそうだ。
 かくいう自分もきっとそうなのだろうな、と思いながらヒトハは未練というものを想像してみた。

「そうですね。今死んだら多分、ゴーストになる気がします。エースくんにトランプで勝ててないし、セベクくんの貸してくれた本の続きも読みたいし、レオナくんの進級も――みんなの卒業も見れてない。ここでやりたいことがまだまだあるんです。手も治ってないですしね」

 薄汚れた手袋の中身を、どうにかして死ぬまでには元に戻さなければならない。でなければクルーウェルの元に化けて出そうだった。

「ゴーストになったら治ってるかもよ?」
「……それもそうですね」

 それはさすがに思いつかなかった、とヒトハはゴーストならではの案に目を丸くした。とはいえ、そのために死ぬのは御免だ。
 ヒトハは笑いながら遠くに目をやり、その光景に静かなため息を漏らした。
 死ねば先輩のように何十年も、何百年もこの景色を見ることができるのかもしれない。トランプはたくさん練習できるし、本も何千何万冊と読めるだろう。何度も生徒たちの卒業を見送ることができて、ひょっとするとこの手も治っているかもしれない。
 けれどきっと、それでは意味がないのだ。幾度となく繰り返すことよりも、過ぎ去る儚いものを一つひとつ大切にしていきたい。一片も未練を残さないように、悔いのないように、取りこぼさないように、自らが思う正しい道を行き、その先々で望むものを得たい。

(この学園で生きていく……)

 箒の上から見る静寂の魔法学校を記憶に刻み、この地で生きる意味を胸に刻む。
 清廉な冬の空気が身体に染み渡っていくように、それらは少しずつ、ゆっくりとヒトハの中にささやかな願いを灯していった。

***

 その日は予報より少し早く厚い積雪となった。年が明けるまであと数日。ホリデーは知らぬ間に折り返している。
 文字通りの銀世界の中、ヒトハは白い息を吐きながら相変わらず学園内を散策していた。積雪とはいえ足がすっぽり埋まってしまうほどではない。足さばきはよく、サクサクと雪を踏みしめる音が軽快に響く。

(暇だな……)

 このところ変わったことといえば、クルーウェルから預かった薬草が栄養剤で順調すぎる成長を遂げ、倍の高さまで伸びたくらいのものである。正直気持ち悪かったが、枯れるよりは遥かにいい。こうなってしまったからには倍の魔力を与えてもっと伸ばしてみようと画策している。
 けれど本当にそれ以外は何一つ変わりなく、思いつく限りのことはやってしまい、散策はし尽くしてしまった。人恋しくてついに冷蔵庫に話しかけてしまった時、いよいよ危ないと思って外に出てきたが、それでもやることがないのに変わりない。

「ん?」

 ふと人の声がして誘われるように向かうと、先日のオクタヴィネル寮のバイト仲間たちが三人寄ってたかって楽しげにしている。

「こんにちは」

 彼らはヒトハに気が付いて振り返ると、大きく手を振ってくれた。鼻先が真っ赤になっているから、もう長いこと外にいるらしい。どうやら雪だるまを制作中らしく、雪の塊が三つ、ちょうど彼らの背丈ほどの高さに積み重なっていた。

「頑張りましたねぇ」

 ヒトハは素直に感心して、背の高い雪だるまを上から下まで眺めた。

「せっかく雪が積もったし、それっぽいことしようと思って」
「これを逃したらもう三人で作れないかもしれないもんな」
「進路、別だしなぁ」

 彼らは学園生活の思い出づくりに雪だるま制作を選んだのだと言う。
 ナイトレイブンカレッジは四年制で、最終学年になると各地に派遣されて学園にはほとんど帰ってこない。実質たった三年間しかない仲間たちとの学園生活だ。
 お世辞にも良いとは言えない学生時代を過ごしたヒトハでも、今が彼らの人生の中でとても大事な時期であることはよく分かっているつもりだ。

「これはもう完成なんですか?」

 思い立って三人に聞いてみると、彼らは顔を見合わせた。この先は特に考えていなかったらしい。
 せっかく三段にも積み重ねた雪だるまだ。できればもう少し飾ってあげたいところである。

「ちょっと待っててくださいね」

 ヒトハはそう言い残して来た道を走った。校舎近くの用具倉庫からバケツを拝借し、引き返す時には拳大の石を二つと枝を二本拾う。そして荷物を抱えて戻ると、雪だるまに容赦なく枝を突き立て、残りのもので頭を飾った。

「それっぽい!」
「写真撮っとこ」

 急ごしらえだが雪だるまは顔に帽子、腕を得てそれなりの見栄えだ。しかし今一つ物足りない。

「せっかくですし、これも」

 ヒトハは最後に自分の手袋を外してコートの内ポケットから杖を取り出した。ふと傷痕の残った手が目に入ってどきりとしたが、構わず杖を軽く振る。手袋は上手く両方の枝に引っかかって、これでやっと完成だ。

「ヒトハさん、手が」

 生徒の一人が驚いたように声を上げる。ヒトハは慌てて両手を胸のあたりで握りしめた。手は慣れない外気に晒されて冷たく痺れ、上手く動かない。見慣れない傷痕を見せてびっくりさせてしまっただろうか。不安に思って窺うように生徒を見上げると、彼はヒトハの手を見て心配そうに眉を下げたのだった。

「寒くない?」

 生徒は手袋をした手でヒトハの手を解くと「真っ赤じゃん」と呆れた。

「あ……えっと、あの手袋は元々そんなに暖かくなくて……」

 そもそも、ヒトハが普段使いしている手袋は暖かいものではない。動かしやすさを重視した薄手の生地で、肌がここまで冷えてはあってもなくても同じだった。

「はい」

 生徒は何を思ったのか、自分の手袋を外してヒトハに押し付けた。男物の明らかに大きな手袋だ。どうすればいいのか分からなくて返そうとしても受け取ってくれる気配がない。

「……ありがとうございます」
「どういたしまして」

 手を通したぶかぶかの手袋は体温ですでに暖かく、少しずつ指先の感覚が戻ってくるような気がした。

「そういえば首も寒そうだからこれも」
「頭も被っとく?」

 手袋のみであれば微笑ましいだけなのだが、残りの二人は厚手のマフラーでヒトハをぐるぐる巻きにしたかと思うと、頭にすっぽりとニット帽を被せた。どれもこれもぶかぶかで視界も口元も遮られるし、髪はぐちゃぐちゃだ。

「ちょ、ちょっと! 私で遊ぶのはやめてください!」

 そう強く抗議しても、彼らは面白そうに笑うだけだ。いくら大人に近づいた青年たちといえど、年頃の男子生徒に変わりない。男の子らしいおふざけに容赦はなく、ヒトハはおもちゃ同然だ。
 それでも、この暖かさが胸の奥まで染みる感覚は嫌いではなかった。ヒトハは怒りながら笑みをこぼした。

「――そろそろ帰るか!」
「え?」

 突然、生徒の一人が不自然に視線を彷徨わせながら言い出した。残りの二人も同調するように何度も頷いて、ヒトハを置いてそそくさと帰ろうとする。
 あまりに唐突でぎこちない去り際に、ヒトハは引き留める言葉も思いつかず突っ立ったまま目を瞬いた。

「あ、それ貸しとく! 利子付けて返して!」
「は――はぁ!? 利子!? い、いや、ちょ、いらない……!」

 彼らは聞き捨てならないことを言い残しながら慌ただしく走り去っていく。ヒトハも慌ててその背を追いかけようとしたが、体に合わない手袋もマフラーも帽子も走るのには邪魔でしかない。数歩走りかけて諦めると、ヒトハは小さくなっていく背に「こら!」と叫びながら腕を振り上げた。

「何をしているんだ、お前は」

 静かな学園に低い声が響く。
 ほんの少し棘があり、呆れたような口調は聞き馴染んだもので、ヒトハは振り上げた腕をぱたりと下ろした。もう充分温かくなった胸に、熱く火が灯るように驚きと喜びが宿る。幻聴だろうか。あるいは、夢なのだろうか。

「先生?」

 ヒトハはその声の主を探した。
 ニット帽とマフラーではっきりとしない視界のまま振り返り、ゆっくりと瞬きをする。
 真っ白な雪景色の中、休暇で留守にしているはずのクルーウェルが、なぜか呆れ顔で佇んでいた。
 雪景色の中でも映える黒と赤の色彩。こんなにもはっきりと見えているのだから幻覚ではなく、こんなにも胸が震えているのだから、夢ではない。

「これは、えっと」

 ヒトハは自分がへんてこな格好をしていることを思い出して、帽子を片手で押し上げた。言わなければいけないことはたくさんあるはずなのに、何一つ言葉として出てこない。
 困り果てた結果「どうです? このコーディネイト」とちょっとだけ気取ってみると、クルーウェルは腕を組み、渋い顔をした。

「そうだな……体格に対しサイズが大きすぎてバランスが悪い。色も素材も合っていない!」

 そして少しだけ優しく目を細めた。

「だが、悪くはないな」
「でしょう?」

 彼ならきっと、そう言うと思ったのだ。ヒトハはやっとぎこちなさから解放されて、クルーウェルに走り寄った。

「どうしたんですか、先生。仕事ですか?」
「いや?」

 クルーウェルはずり落ちかけた帽子を片手でひょいと取り払い、にやりと笑った。

「お前が寂しくて泣いているんじゃないかと思ってな」
「は!? なっ、泣いてなんかないです!」

 突然現れたからどうしたのかと思えば、この軽口である。ヒトハは強く抗議した。
 泣くほど寂しかったわけではない。それなりに充実していたし、生徒たちも、先輩も同僚たちもいた。預かった薬草は順調で、この学園の景色は何度見たって美しい。
 けれどどこか開いた穴がやっと塞がるような気がして、ヒトハは「まぁ、寂しくはありましたが」と最後には観念したのだった。
 クルーウェルはその言葉を聞くと満足そうに笑い、ヒトハの前に白い箱をぶら下げた。

「お利口に待てができていたなら、ご褒美をやらんとな」

 ヒトハはその箱を両手に受け取りながら「ご褒美?」と首を傾げた。箱をよくよく観察して見つけた華奢な金色の文字には見覚えがある。

「あっ! これはあの、ケイトくんが言ってたあの、ミルフィーユですね」
「いい加減思い出せ……」

 いつか約束した賢者の島にあるというケーキ屋のミルフィーユだ。ついに忘れてしまっていたが、彼は律儀にも覚えていたらしい。
 ヒトハはその箱を大事に抱えた。

「ここはずいぶん冷えるな。さっさと中に入るぞ」

 クルーウェルは暖かそうな毛皮のコートを羽織っていながら口早く言った。ヒトハを探し歩き回っていたらしく、白い鼻先がほんのり赤い。
 二人は横に並び、雪の中を歩き出した。
 道すがらホリデーの出来事を報告し合い、ヒトハは薬草が倍の大きさになったことを告げた。クルーウェルが引き気味に「何をやらかしたんだ?」と眉間に皺を寄せて、ヒトハはそれを面白く笑う。

「そう、それでですね、先生」

 ――まぁ特になんということもない日々でしたけど、色々あったんです。
 ヒトハはどれから話そうかと頭を悩ませた。
 薬草が枯れかけたこと、街に行ったこと、生徒と雪だるまを作ったこと。そして、この学園はとても美しいこと。

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